「赤ん坊の心」で見る世界

公園の木々が青々しく茂っているのを見て感動したり、心地よい風に吹かれて生の喜びを感じます。過去というフィルターを通さず世界を見ると、世の中はこんなにも美しいものに溢れているのかと毎日が発見の連続です。

生まれたばかりの赤ん坊が、さまざまなものに興味を抱くのと同じかもしれません。

雨が降って「嫌だな」と思うのは、過去の経験と重ね合わせて今日の雨を見ているからです。雨の日も、風の日も、「日々是好日」。天気に優劣はありません。

水滴に対する雨の下で透明傘
写真=iStock.com/Julia_Sudnitskaya
※写真はイメージです

今日という一日にいいも悪いもありません。

今日という日を目に映るまま、ありのままに受け止めていれば、毎日が好日となるのです。

「赤ん坊の心」で出会った毎日のルーティンは、あなたの視点を「今」に引きもどし、今をとても新鮮で輝かしい瞬間にしてくれるのです。

常識を疑うと本物の世界が見えてくる

禅語に、「柳は緑 花は紅」というものがあります。「当たり前のことしかいっていないじゃないか!」と思ったあなたは正しいのです。

禅は、目の前の光景を脚色せず、ありのままに見ることを大切にします。「それならば簡単!」と思ったあなた、今度は残念ながら間違いです。

私たちはこれまでの人生で培ってきた、知識や経験という名のレンズを持っています。何かを見るときにも、無意識にこのレンズにピントを合わせ、自分の都合がいいように解釈してしまいがちです。

心配などはそのいい例でしょう。自分が誰かのことを話題にするときにひそひそ話をした経験があるから、ほかの人がひそひそ話をしているのを見て、自分のことをいわれているのではないかと不安になるのです。

メールの文面に必要以上に神経を尖らせるのは、自分がメールを受け取った際、表現が少しそっけないと感じただけで、何か悪いことをしたのではないかと不安になるからです。

柳は緑、花は紅。柳を見たときに、青々とした葉の美しさに目を留める人がどのくらいいるでしょうか。柳は緑と思う前に、レンズが過去にピントを合わせ、「柳といえば、そろそろお化けの季節だな」などと思いはしないでしょうか。