看取った患者さんが教えてくれたこと
【中村】それでええんと違う? 私は何人も患者さんを看取ってきたけれども、死ぬときは地位も名誉も関係なしや。あの世には何も持って行かれへん。どんな活躍してきたか、どう生きてきたかに関係なく、人間いつか必ず死ぬの。
せやったら眉間にシワ寄せて、仕事で自己実現しないとあかんとか、人生を充実させないと、とか考え過ぎずに、目の前の仕事をたんたんとこなしながら気楽に生きていったらええと私は思うけどなぁ。
【奥田】そこに、いつ気付くかですよね。残念ながら、戦後の豊かな日本で育ってきた私たちの世代以降は多かれ少なかれ、自己実現しなくちゃ、仕事も私生活も充実させなくちゃ、という呪縛を刷り込まれています。
若い世代の間では「リア充(現実の生活が充実していること)」と言ったりしますが、とにかく「他人に認めてもらえるような「充実した人生」を送れていないと恥ずかしい」という妙な負い目を感じているのですよね。
でも、現役世代を引退して老いていく過程では、ようやく、こうした呪縛からも解放してもらえそうです。仕事でも家庭でも、色々な役割から解き放たれて、周りと競争したり比べたりしなくても良くなる。すると、世間や人の目を意識しないで、自分の気持ちに素直になって、楽に生きていけるはずです。
【中村】そうや。私のように92歳まで生きると、何も守るものもないし、望むこともないし。毎日たんたんと起きて、ちょっと家事してちょっと仕事して、食べて寝てって感じ。そもそも老人になって一線から退いたら、人との付き合いも最小限で良くなる。すると余計な世間体とも、どんどん無縁になっていくしね。
そういう平坦な生活は、若い人からみたら面白くないように感じるかもしれへんけど、ええ塩梅に体力・気力が衰えていくから、私にとってはそれがちょうどええ。もうこの年で遠いところへ旅行へ行くのもしんどいし、ときどき息子や孫に会って、話ができるだけで充分。まさに「リア充」やな(笑)。
1929年生まれ。1945年6月、終戦の2か月前に医師になるために広島県尾道市から一人で大阪へ、混乱の時代に精神科医となる。二人の子どもの子育てを並行しながら勤務医として働き、2017年7月(88歳)まで、週6日フルタイムで外来・病棟診療を続けてきた(8月から週4日のフルタイム勤務に)。「いつお迎えが来ても悔いなし」の心境にて、生涯現役医師を続けている。
1967年生まれ。約20年前に中村恒子先生に出会ったことをきっかけに、内科医から精神科医に転向。現在は都内にて診療および産業医として日々働く人の心身のケアに取り組んでいる。執筆活動も精力的に行い『一分間どこでもマインドフルネス』(日本医療情報マネジメントセンター)など著書多数。今回、念願であった恩師・中村氏の金言と生きざまを『心に折り合いをつけて うまいことやる習慣』(すばる舎)にまとめて出版した。