「名前を変える自由」が保障されている

英国では姓も下の名も自由に変えることができる。その自由は法的に保障されている。そうだ、今日から違う名前を名乗ろう、と決めるだけでよい。改名の理由を明らかにする必要はなく、変えたことを公式に登録する「義務」もない。なぜなら、姓名に関することは「個人の事情」であって国が関与すべき事項ではないとされているからだ。

実際には、新たな姓名で生活していくためにパスポートや選挙人名簿登録、国民医療サービス、クレジットカードなどの名義を変更する必要が生じる。ここで改名したことを公に証明しなくてはならないのだが、あくまでも任意。「やりたければどうぞ」というのが基本姿勢だ。

この国では、本人の自由意志が最も尊重される。それが「法によって禁止されていること」でない限りなんでもありだ。これは「コモン・ロー」という英国法(判例法ともいう)の考え方に由来し、争い事があれば慣習や今までの判例を参考に解決をはかる。フランスなど欧州大陸の多くの国や日本のように「法が許すこと」以外やってはならない、つまり決まり事を絶対視し形式を重んじる「シビル・ロー」(大陸法、または制定法)とは対極をなしている。姓名をめぐる価値観を含め、日本人には「いいかげん」と映る英国の文化と社会通念の多くはこの「コモン・ロー」のコンセプトに裏打ちされていることが多い。

ネットでいつでも改名OK

さて、改名したことを法的に証明するには、ディード・ポール(Deed Poll=正式名はA Deed of Change of Name、改名を宣誓する証書)と呼ばれる書類を作る。旧姓名と新姓名を書き並べ、身内以外の第三者の立ち会いのもとで宣誓署名をする。

自分で適当な紙に書いて証人に署名してもらうだけでも、法的には改名の証拠として認められる。ただし、銀行など相手機関のほうがそれを受け付けてくれるとは限らない。書いた紙をさらに事務弁護士、司法書士やパラリーガルなどに「証明」してもらうのが一般的だ。

まれに、法院(Court of Justice、日本では裁判所に当たるがその機能はずっと広い)に届け出ることもある。その場合は改名したという事実が国立公文書館(The National Archives)に記録される。公文書館は英国民の出生、結婚、死亡などに関する記録を保存する機関で16世紀の創設時から今までのデータが保存されている。しかし、届け出はあくまでも任意なので、家系を辿ろうと過去の改名事実を探る手段としてはあまり役に立たない。

驚くことに、このディード・ポールは民間のネット手続きサービスを使えば数分で終了してしまう。翌日には証明済みの書類が送られてくるので、証人とともに自筆署名をするだけでおしまいなのだ。

昨年末には、酔った勢いで夜中に自分の名前をセリーヌ・ディオンと改名してしまったイギリス人男性のニュースが、長引くロックダウン生活に疲れたお茶の間を沸かせた。男性は元の名に戻さず、これから一生正式に歌手のセリーヌと同姓同名として生きていくことを選んだ。英国で姓名を変えるのはそのくらい簡単だ。もっともこの男性は、職場や家族からは依然として改名前の名で呼ばれているそうだが。

乾杯ビール
写真=iStock.com/ViewApart
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