「女の幸せを逃している」というおせっかい

かくいう私も機能不全家族で生まれ育ち、虐待や家庭内暴力を受けた被害者である。就職と同時に実家から逃げ出し、一人で暮らすことを選択してきた。子供の頃は将来、“自分の”家庭を持つことを夢見ていたが、大人になるにつれ、家庭という閉鎖的でかつ簡単に逃げられない空間で誰かに主導権を握られることが不安になり、やはり今でも新しい家庭を築くことが怖い。

「いい人いないの? 早く結婚しなよ」と他人から言われるたびに、自分の生きてきた人生や価値観を無視され、「大衆的なステータス」を押し付けられていることを痛感して飽き飽きしている。私は自分の意思で、自分のタイミングで、無限の選択肢の中から「最適解」を選ぶことを連続してくり返しているのだ。

かれこれ10年以上、トラウマによるフラッシュバックに苦しめられ、うつと複雑性PTSDの症状と戦い続けている。今でも男性の高圧的な態度や、大きな声を聞くと体がこわばってしまう。精神科や心療内科にはもう5年以上通院を続けていて、投薬治療に加えてカウンセリングも受けているが、寛解にはほど遠い。毎日毎日、殴られる夢を見て、悲鳴をあげたり叫び声をあげながら暴れて起きることもある。家族から連絡があったり顔を合わせたりすると症状が悪化して自殺衝動が強まるので、自分を心から安心できる場所に置くために、現在家族とは絶縁状態にある。

こうして必死に生きているのに「女の幸せを逃している」と言われることがある。余計なお世話だ、と心から思う。新しい家庭を作ることで不安が増幅される人も存在するのに、人を「女」という記号で見ているからこそ出てくる言葉なのだと思う。

「結婚しない」理由がなくても

当然、私や知人女性のような複雑なバックグラウンドがなくとも、結婚をしない選択をする人々はたくさんいる。単純に「一人でいる方が楽」「パートナーがほしいとは思わない」と考える人たちも当たり前に存在している。もちろん、彼ら彼女らがその後「この人となら(このタイミングなら)結婚しよう」と思うようになる場合もあるだろう。高齢になってから初めての結婚をする人だっている。結婚せず、人生に終止符を打つ人も多い。

「結婚適齢期」に「結婚できなかった」人たちは、本当に幸せではないと思うだろうか。結婚しなければ、女性は幸せになれないだろうか。私は全くそう思わない。自分自身の生きたいように生きること、「結婚すること」を選ばずに生きること、結婚して生きること、結婚してまた独身に戻ること。それらはすべて等しく、本人の選択あるいは納得いく形として行われるならば幸せなことであり、他人が口を挟む問題ではないと私は思っている。

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