コロナ禍で露呈した「女性不在」政治の問題

コロナ禍は政治の役割について改めて考えるきっかけとなった。市民の苦しみや不安に耳を傾け、果敢な政策を打ち出す世界の女性リーダーたちが注目を集めた。

その一方、普段ケア(家事や子育て、介護など、物心両面のお世話)を担うことがほとんどない多くの男性政治家は、コロナ禍で膨大に増えたケア負担とケアの不平等な配分についての理解不足を露呈した。

昨年3月の学校一斉休校がもたらした混乱は、政策が、それがもたらすジェンダーによる不均等な影響について、十分な検討もされずに実施された端的な例である。そんな中で女性リーダーへの期待は、異なる政治への期待として噴出したと思われる。

理論的には、男女関わりなく女性やマイノリティーの利益を代弁してくれる議員が増えさえすればいいのかもしれない。しかし、その考えは理想に過ぎない。議員は公的な存在なのだから、全ての市民を代表するはずだが、実際には票につながる特定の集団の声ばかりを聞き入れることが多い。女性議員たちの経験を聞いても、議会に入ってみて、生活の実感を持って女性の経験や立場を理解してくれる議員がとても少ないことに驚いたという。

働きながら子育てをすることがどれだけ大変なのか、家にほとんどいない男性には分からないことが多い。LGBT当事者の生活上の困難は、異性愛者たちには見えないことが多い。当事者の声を直接議会に届ける議員がいてこそ、それらの課題が現実味を持つ政策課題となるのである。

総裁選が教えてくれたこと

今年9月、史上初めて自民党総裁選挙に男女2人ずつ、4人の候補者が立候補した。

2人の女性候補者は極端に異なる政策的立場を表明した。安全保障を重視する強いリーダーシップを強調し、弱者や人権に関する政策が薄い女性候補者と、多様性や女性、子どもを政治の真ん中に据えることを訴えた女性候補者は、とても対照的だった。彼女らの姿は、同じ政党の中でさえ「女性」は一つの集団ではなく、立場や利害関係が多様な集団であることを気づかせてくれた。

そこからも明らかなのは、女性議員の数が増えることの重要性だ。女性の数が十分に増えないと、マジョリティーの男性政治家の利益に対抗できないだけでなく、多様な女性が政治に参加することができないからだ。

少数の女性のみがお飾りとして男性政治家の視点で選ばれる状況を変えるには、女性たちが自らの意思をはっきりと表明することが大事である。

幸い今回の総選挙では、多くの女性や若者たちが、普段メディアの注目を集めることが少ない政策課題について政党間の違いを知らしめる活動を行っている。

女性こそが政治に口を出し、自分たちの未来を自分たちで決めるべきではなかろうか。

申 琪榮(しん・きよん)
お茶の水女子大学 ジェンダー研究所 教授

米国ワシントン大学政治学科で博士号を取得し、ジェンダーと政治、女性運動、ジェンダー政策などを研究。学術誌『ジェンダー研究』編集長。共著『ジェンダー・クオータ:世界の女性議員はなぜ増えたのか』(明石書店)など。女性議員を養成する「パリテ・アカデミー」共同代表。