勝ったのは「動画メディア」
7月参院選、与党大敗。勝ったのは何だったか。それは右寄りだ左寄りだの政治スタンスでもなければどこかの党でもない、YouTubeをはじめとする動画メディアだった。文字ベースのマスコミでもなければ、XなどのSNSですらなかった。
文字ベースのメディアなら、ユーザから反論コメントや反論投稿が生まれる。だが動画に対する「反論動画」を、一般のユーザがリスクやコストを負ってまで作成して投稿することは稀だ。
確信的に動画戦略を貫く相手との歴然としたスキル差。正誤ではなく「みんなが群がって見ていること」を最善と評価するアルゴリズムが情報の雨を降らす時代だ。動画の発信側が一方的かつ圧倒的に有利な時代に選挙というアナログなシステムが全くついていけなかった結果が、自民、公明両党の大敗、衆参ともに少数与党という前代未聞の事態である。
あの日、私たちが参加したのは、自分たちの利益を代表してくれる政治家を選び出す選挙だったのか、それとも動画プラットフォームを戦場とするインフルエンサーたちの人気投票だったのか。
指摘しても憂えても届かない
参院選の間、文字ベースのSNSでは、「特定の党がドライブする論調に自分の知人が取られていく」とたくさんの人が悲しみ、胸を痛めていた。知識や哲学や思いのある人たちは統計を示して「ファクトチェックが大切だ」と警鐘を鳴らした。
だがそれは、いわば「動画」という別の大陸に向かって「文字と電波」という大陸から“別の言語で”叫ぶ声のようなもので、一向に届くわけがなかった。動画に熱心に付け込まれ、YouTubeやTikTokが世界のすべてになってしまった人たちに向かって、冷静な人たちが文字のSNSや新聞雑誌やウェブ記事や地上波テレビのニュースや情報番組で「それは間違っている」と指摘したり「そんなのばっかり見ててリテラシーは大丈夫か」と憂えてみたりしたところで、当人たちには読まれもしなきゃ、見てももらえないのである。
彼らはそもそも文字媒体や地上波テレビを「つまらない」「信じない」と拒否し、情報摂取の方法としておすすめ自動再生のネット動画を漫然と見る日常に賛成したのだから。