困った人を救うはずの政治が壁に
10月14日に衆議院が解散され、4年ぶりの衆議院総選挙が始まった。19日に選挙の公示、31日に投開票が行われる。各党から1051人が立候補して12日間の短い選挙期間に465議席を争う選挙キャンペーンが繰り広げられている。
4年前の選挙と比べて野党共闘が進み、事実上与野党一騎討ちの選挙区も大幅に増えて、有権者の一票一票が選挙結果を大きく左右する構図となった。今回の選挙を自民党は「未来選択選挙」、立憲などの野党は「政権交代選挙」と名付けて有権者の選択を求めている。
だが何よりも女性にとっては、今回の総選挙はとりわけ重要な選挙だ。コロナ禍で浮き彫りになった医療体制や貧困・格差の問題などで、女性やマイノリティーが大きな負担を強いられ、中には生活と命が脅かされる状況にまで追いやられた人も少なくない。性暴力やハラスメント、選択的夫婦別姓、移住・外国人問題、LGBT政策など、女性やマイノリティーの切実な声は政治に届かず、困った人を救うはずの政治がむしろ逆に政策推進の壁となっている。
女性候補者はわずか17.7%
それは、市民の痛みや困難に耳を傾けて共感する政治家が少なすぎるからではないだろうか。多様性と人権を尊重する政治を実現するためには、これまで政治に参加することが少なかった女性や若者が政治に直接関わることが求められる。しかし、日本の衆議院には女性議員が1割しかおらず、諸外国と比べて極端に少ない。それだけに今回の総選挙では、各政党がどれだけ本気で女性候補者を増やすのかに大きな関心が寄せられていた。
しかし、結果はとてもがっかりするものであった。衆議院議員選挙に立候補した1051人の候補者のうち、女性は186人、比率は17.7%にとどまった。前回の17年の衆議院選挙から変わらない数値である。
根強いクオータ制への誤解と抵抗
今年の総選挙は、2018年「政治分野における男女共同参画の推進に関する法律」(通称、候補者均等法、2021年6月に改正)が成立してから初めて行われる衆議院議員選挙である。同法は政党に、男女の候補者をできる限り均等にするよう努力義務を課している。さらに昨年2020年末には男女共同参画社会基本計画が閣議決定され、2025年までに国政選挙の候補者に占める女性の割合を35%にする目標を設定した。女性議員が増えるためにはまず候補者に女性が増えることが必須だからである。
諸外国では女性候補者を増やすために多様な制度を導入している。日本でもしばしば話題になっている候補者クオータ制(女性や若者、少数民族などに候補者、あるいは議席の一定割合を与える)がその代表的な事例である。クオータ制は現在世界の約100カ国以上で実施されており、女性議員を増やすための速攻策と呼ばれている。
日本でも遅ればせながら2010年代半ばから、候補者クオータ制の法制化を目指した立法運動が始まり、各党への働きかけが続いている。しかし国会の議論の中では「男性に対する逆差別だ」「能力のない女性が議員になる」などクオータ制に対する誤解や根強い抵抗があり、結局「男女の候補者をできる限り均等に」する理念を明記するだけで、実施を強制する措置を持たない理念法の制定にとどまった。女性候補者の擁立は、完全に政党の善意に委ねられることになったのである。
そのためか、制定直後の2019年に行われた統一地方選挙、参議院選挙のいずれにおいても法律の趣旨は生かされず、女性議員の増加は微々たるものであった。また今回の総選挙においても17.7%と、候補者の男女均等からは程遠い結果となり、女性議員の大幅増加は見込めない。
女性候補者を「増やそうとしない」政党
ただ、これには政党ごとに差があることも重要なポイントである。女性候補者の比率は、自民党が9.8%(前回7.5%)、公明党7.5%、立憲民主党18.3%(前回24.4%)、共産35.4%、維新14.6%、国民29.6%、れいわ23.8%、社民60.0%、N党33.3%であり、政権与党の女性比率が最も低い。
議席の大半を占める自民党は公認候補も多いので、自民党が女性候補者の擁立に消極的であることが平均値を下げるとともに、女性議員が増えない原因となっている。候補者均等法が求めている政党の自主的な努力への姿勢はほとんど感じられず、自ら合意した候補者均等法の趣旨を裏切る結果であると言わざるを得ない。
女性が少ないのは女性のせいなのか
これについて自民党の甘利明幹事長は「応募してくださらない限りは選びようがない」と、女性候補者が少ない理由を、女性自身が手をあげないところにあるとの認識を示した。
他党と比べて女性候補者の比率が桁違いに低い原因を、女性に求めるのは果たして適切だろうか。優秀な女性が手を挙げられない原因を分析し、それを乗り越えられるようにサポートするのが国民を代表する議員を輩出する政党の役割ではなかろうか。
政治学の研究によると、誰が、どのような方法で候補者を選定するのか、それが、どのような候補者が選ばれるのかに大きな影響を与える。つまり候補者の資格や望ましい候補者像は、選ぶ側の考えによって左右されるのである。
男性政治家は、男性を選ぶ傾向
男性の政治家たちは、自分と似たような候補者を適切な候補者と見なす傾向があり、男性のネットワークから候補者を探そうとする。従来型男性議員が既に「政治家」のモデルとして政党関係者の意識に刻み込まれており、女性を候補者として選ぶことに意識的、無意識的な抵抗があるのである。
自民党のように女性議員がほとんどいない地方の県議会議員らが候補者を選ぶ場合には、そのジェンダーバイアスはなおいっそう根強い障壁となっている可能性がある。それを是正するためには、候補者選定過程に選挙区住民が参加するか、候補者選定委員会における女性の比率を決めるなど、候補者選定方法を改めて、同じ属性の人たちが閉鎖的に候補者を決めないようにすることが大事である。
もちろんそれは簡単ではない。自民党は、現職議員を優先的に公認候補者とするルールを持っており、それだけ現職議員に圧倒的に有利である。
現職議員が多く、その大半が男性議員であるため、候補者選定のルール変更には反対が強いだろう。しかし、現行制度の枠の中でも新人候補に女性を優先的に登用することは可能である。例えば、新人候補の男女比率を半々にすることを予め目標に設定して、女性候補者を、現職議員が引退する選挙区や比例ブロックの上位、あるいは比例単独候補者にすることは今すぐできることだ。
しかし、今回自民党の新人比例代表候補者36人の中、女性は6人のみ、小選挙区の場合はさらに少なく、35人の新人候補者のうち女性はたった3人しかいない。自民党が勝利を収めるならば、現職男性議員の議席独占はいつまでも続くことになるだろう。
コロナ禍で露呈した「女性不在」政治の問題
コロナ禍は政治の役割について改めて考えるきっかけとなった。市民の苦しみや不安に耳を傾け、果敢な政策を打ち出す世界の女性リーダーたちが注目を集めた。
その一方、普段ケア(家事や子育て、介護など、物心両面のお世話)を担うことがほとんどない多くの男性政治家は、コロナ禍で膨大に増えたケア負担とケアの不平等な配分についての理解不足を露呈した。
昨年3月の学校一斉休校がもたらした混乱は、政策が、それがもたらすジェンダーによる不均等な影響について、十分な検討もされずに実施された端的な例である。そんな中で女性リーダーへの期待は、異なる政治への期待として噴出したと思われる。
理論的には、男女関わりなく女性やマイノリティーの利益を代弁してくれる議員が増えさえすればいいのかもしれない。しかし、その考えは理想に過ぎない。議員は公的な存在なのだから、全ての市民を代表するはずだが、実際には票につながる特定の集団の声ばかりを聞き入れることが多い。女性議員たちの経験を聞いても、議会に入ってみて、生活の実感を持って女性の経験や立場を理解してくれる議員がとても少ないことに驚いたという。
働きながら子育てをすることがどれだけ大変なのか、家にほとんどいない男性には分からないことが多い。LGBT当事者の生活上の困難は、異性愛者たちには見えないことが多い。当事者の声を直接議会に届ける議員がいてこそ、それらの課題が現実味を持つ政策課題となるのである。
総裁選が教えてくれたこと
今年9月、史上初めて自民党総裁選挙に男女2人ずつ、4人の候補者が立候補した。
2人の女性候補者は極端に異なる政策的立場を表明した。安全保障を重視する強いリーダーシップを強調し、弱者や人権に関する政策が薄い女性候補者と、多様性や女性、子どもを政治の真ん中に据えることを訴えた女性候補者は、とても対照的だった。彼女らの姿は、同じ政党の中でさえ「女性」は一つの集団ではなく、立場や利害関係が多様な集団であることを気づかせてくれた。
そこからも明らかなのは、女性議員の数が増えることの重要性だ。女性の数が十分に増えないと、マジョリティーの男性政治家の利益に対抗できないだけでなく、多様な女性が政治に参加することができないからだ。
少数の女性のみがお飾りとして男性政治家の視点で選ばれる状況を変えるには、女性たちが自らの意思をはっきりと表明することが大事である。
幸い今回の総選挙では、多くの女性や若者たちが、普段メディアの注目を集めることが少ない政策課題について政党間の違いを知らしめる活動を行っている。
女性こそが政治に口を出し、自分たちの未来を自分たちで決めるべきではなかろうか。