「失敗なんて大したことない」と考える

ラッセルは二十世紀の知の巨人といわれるほどの偉大な哲学者です。と同時に、ノーベル賞を授与されながらも、何度か投獄されているほどの筋金入りの平和活動家としても知られています。

そんなラッセルですが、若いころは極度に緊張するタイプで、講演会の前などには、足の一本でも折れてくれればやらなくてすむのにと思っていたそうです。世界に向けて力強く反戦を訴えるほどの人なのに!

どうして彼がプレッシャーをはねのけることができるようになったかというと、それは宇宙思考を見出したからです。といっても宇宙物理学の話ではありません。そうではなくて、自分がどんな失敗をしようが、どのみちこの宇宙には影響はないと考えるようになったというのです。なんと楽観的なのでしょうか。

プレッシャーを感じるのは失敗したり、うまくいかなかったりしたときのことを考えるからです。それならラッセルのいうとおり、失敗なんて大したことないと思えるようになればいいだけのことです。

ただし、これは目標を下げるのとは違います。目標の高さはそのままに、プレッシャーの度合いを下げるだけです。

気負わない、抗わない…。それが最善

それでもそんなふうに想像できる人ばかりではないでしょう。そこで難易度は少し上がりますが、受け止めるのでも想像するのでもなく、むしろかわすという方法はいかがでしょうか。中国の哲学者、老子の思想です。

老子は、何もしないことによって、実はすべてのことをしているのだと説きました。それを分かりやすく表現しているのが、「上善は水の如し」です。

「最上の善は水のようにさからわない状態だ」という意味です。たしかに水は流れていくだけです。さえぎるものがあっても、道が曲がっていても、そのまま従います。そしてすっと流れていくのです。抗うことはないにもかかわらず、きちんと流れていく。これが最善の状態だといいます。

これをプレッシャーに置き換えると、気負うことなくやるという感じになるでしょうか。やるのだけれども、気負わない。別に宇宙を想像するのでもありません。ただ、さからわないだけです。何に? それは自分の身体に起こるすべての現象に、でしょう。喉が渇けば水を飲む。息苦しければ窓を開ける。「わーっ」と叫びたければ叫ぶ。やってはいけないと思うからプレッシャーが高まるのです。

いつでも逃げ出すことはできる

緊張するといろんな欲求が生じます。ならばそれに従えばいいのです。走って逃げだしたくなったらどうするか? それもやればいいのです。でも、最後は逃げ出せると思っていれば、そういう気にはならないものです。逃げられないと思うから緊張するのです。

人生は誰のものでもありません。ほかならぬ自分のものです。ですから、高い目標を掲げるのも、成長したいと望むのも自分なのです。嫌ならそこから逃げ出すことは可能です。何ものにも強制されているわけではないからです。にもかかわらず自分が好んで戦おうとする。これが人間の素晴らしさだといっていいでしょう。

なんだか緊張できる、プレッシャーを感じることができるというのも、また素晴らしいことであるように思えてきませんか? プレッシャーを楽しめる人生を送れるといいですよね。

小川 仁志(おがわ・ひとし)
山口大学国際総合科学部教授

京都府生まれ。京都大学法学部卒業。名古屋市立大学大学院博士後期課程修了。伊藤忠商事勤務、フリーターの経歴を持つ。市民のための「哲学カフェ」を主宰。