「孤独」の正体

つまり、孤独というのは、実は一人でいるから感じるのではなく、むしろ人がたくさんいるところにいるにもかかわらず、その人たちと距離を感じるときに生じるというわけです。ここでいう「間」とは、距離のことでしょう。物理的な距離ではなく、精神的な距離です。

したがって、必ずしも一人でいるから寂しいというわけではなく、大勢でいても寂しさを感じることがあるのです。いや、むしろそのほうが、寂しさが際立つのです。

私も経験がありますが、アメリカの大学に研究で滞在していたとき、パーティーの場でしばしばそんな感覚にとらわれました。最初のころはまだなじんでいなかったし、友だちもいなかったからだと思いますが、その場自体はにぎやかで、適当に話もしていたにもかかわらず孤独だったのです。

孤独であることは悪いことではない

では、精神的な距離とは何なのでしょうか? おそらくそれは、誰も自分を理解してくれないという不安のことなのではないかと思います。これも私の経験に根差しているのですが、いくら自分が主張しても、誰にも賛同してもらえず、孤立してしまう状況であるように思います。それは別に何か積極的に主張する場合に限らず、普通に日常を過ごす中でも生じ得ることです。

自分の進みたい道があるのに、誰も認めてくれないとか、よかれと思ってやったことが、誰からも評価されないといったような場合に。そんなとき人は孤独を感じるのではないでしょうか。

しかし、だからといって他者に迎合したり、自分の理想を押し殺すことが孤独を解消する道なのでしょうか? もしそうなら、自分というものを捨てなければなりません。それは孤独以上につらいことなのではないでしょうか。無理にみんなと同じ意見を持ち、本当にやりたいことや、主張したいことから目をそむける。それでは生きている心地がしないのではないかと思います。

さらに問題なのは、そもそもそうした態度が望ましいのかどうかです。孤独が怖いからといって、誰もが理想を捨てるような世の中になったら、危険ではないかと思うのです。

全体主義とまではいいませんが、少なくともみんなが間違っているような場合に、それを正す人はもういなくなってしまうからです。

だから私は、孤独であることはけっして悪いことではないと思っています。現に多くの哲学者たちが、孤独を讃えるような言葉を残しています。いくつか紹介しましょう。