「人間発動機」と呼ばれた野口英世
こうした多動・衝動性にもとづく行動が、「エネルギッシュで活動的」に見えることもあります。
しかし普通の程度ではありません。過剰に活動的なのです。
千円札の肖像になった偉人、野口英世はADHDだったと考えられています。米国では昼も夜もなく研究を続け、疲れたら靴を履いたまま眠ってしまうので、寝間着を持っていなかったという逸話もあります。
連日、不眠不休で働き続ける彼を見て、ロックフェラー医学研究所の同僚のつけたあだ名は「人間発動機」、「24時間仕事男」でした。
野口英世と言えば、高名な学者で、貧しい暮らしの中で刻苦勉励によって世界的な発見を成し遂げた努力の人、あるいは幼児期に負った左手の障害を乗り越えた不屈の人物といったイメージを持っている人が多いと思います。
1876年に福島県耶麻郡三ッ和村にて出生。生家は農家でしたが、父親は酒好きの放蕩者で、母シカの働きによって家計が支えられていました。
子供時代から英世の優秀さは際立っていました。小学4年のときには級長となり、さらには代用教員に指名され教壇で授業をするまでになりました。高等小学校を卒業して上京し、開業医に弟子入りをし、ほぼ独学で医術開業試験に合格しています。
この時期の英世の努力にはすさまじいものがありました。自分をナポレオンにたとえ深夜まで医学の勉強をし、さらに英語、ドイツ語、フランス語もマスターしています。まさに過剰集中の結果でしょう。
過剰な集中が業績につながった
医師の資格を得たといっても、学歴も後ろ盾もない英世の生活は楽ではありません。彼の極端な浪費癖も拍車をかけました。
何よりも、英世は借金魔でした。身近な人からは、限度を超えて借金をしましたが、返済することはほとんどなかったようです。その上、宵い越しの金は持たないとばかり、持っている金はあるだけ遊興で蕩尽したのです。後に英世が米国留学するときにも、当時の婚約者から支度金として受け取った大金を一晩で使い果たしてしまったことが知られていますが、こうした傾向は「衝動性」の表れと考えられます。
一方で、英世の研究に対する打ち込み方は、尋常ではないものがありました。彼には私生活というものがなかったのです。朝も昼も夜も研究を継続し、倒れるまで仕事に明け暮れたのでした。
過剰なまでの仕事への集中、衝動的な浪費癖と生活力のなさは、英世のADHD的な特性を示すもので、世界に誇れる数々の医学の業績は、このような特性と関連が大きかったのです。
野口英世のように、ADHD特有の「過剰な集中」が、大きな業績につながることもあります。しかし、これほど過剰な活動性は長続きしません。「倒れるまで仕事をしていた」人が、やがてオーバーワークで倒れ、うつ病を発症するというケースも少なくありません。
また、本人が本当にやりたいことでないと、こうした活動性は発揮されません。「同じような集中力で学校の勉強もがんばる」とは、なかなかならないのです。
1959(昭和34)年、神奈川県生まれ。東京大学医学部医学科卒。医学博士。発達障害の臨床、精神疾患の認知機能の研究などに従事。都立松沢病院、東大病院精神科などを経て、2012年より昭和大学医学部精神医学講座主任教授、2015年より昭和大学附属烏山病院長を兼務。著書に『発達障害』(文春新書)、『医者も親も気づかない 女子の発達障害』(青春新書)、『誤解だらけの発達障害』(宝島社新書)など多数。