精神科医の岩波明さんによると、発達障害の中でも症例が多いADHD(注意欠如多動性障害)は人口の5%前後だと言われています。岩波さんは、ドラマの主人公や偉人の中には、ADHD的なタイプの人が珍しくないといいます――。

※本稿は、岩波明『医者も親も気づかない 女子の発達障害』(青春出版社)の一部を再編集したものです。

ひとこと多く、「やまとなでしこ」と正反対

大人のADHD(注意欠如多動性障害)の衝動性の問題として一番多いのは、「言わずもがなのことを口にしてしまう」というものです。

LD(学習障害)、ADHD、アスペルガー症候群と診断されている漫画家の沖田×華さんは「女の子にスタイルや体重のことを言ってしまう。『太った?』と言ってしまう」と、話していました。遠慮なく、思ったことをズバズバ口にしてしまう。要は「ひとこと多い」のです。それが時に人を傷つけ、人間関係を悪くします。

『医者も親も気づかない 女子の発達障害』より(イラスト=沖田×華)
医者も親も気づかない 女子の発達障害』より(イラスト=沖田×華)

そうした言動のせいで、ADHDの人は「自己中心的」な人に見えてしまうところがあるのです。

特に、あまり自己主張をしない控えめな人のほうが好感度が高い日本では、「我が強い」と敬遠されやすくなります。控えめな「やまとなでしこ」とは正反対の特徴です。彼女たち自身、自覚がないわけではなく、「こんなことを言ったら変に思われるかもしれない」と、ある程度はわかっているようです。しかし、だからといって発言を控えようとはしません。

その場の空気よりも、内面の衝動をADHDの人は優先させるのです。

そうして人間関係を悪くするうちに、周囲からは「変わった子」と見られ、浮いた存在になりがちです。そのうちに傷つき、自信を失い、引きこもる人もいますし、うつ状態となってしまうことも珍しくありません。

診察室において、会社で「ひとこと多い」をしてしまう人に対して、私は、「できるだけ何もしゃべらないように」とアドバイスをしています。日本の会社では、正しいことを堂々と発言するよりも、とりあえずの「空気」に従っておくほうが、周囲から評価されることが多いのです。

大胆な発言や行動が魅力的な赤名リカ

もっとも、周囲との人間関係が良好なうちは、ADHDのそうした奔放な振る舞いが「魅力的」に見えることもしばしばです。

彼らは、コミュニケーション全般が苦手、というわけではありません。一般的には、ADHDの人は比較的フレンドリーで、人当たりがいい印象があります。初対面の人とも、すぐに仲良くなれることも多いのです。

その証拠に、漫画やドラマなどにおいて人気のあるキャラクターには、ADHDタイプが珍しくありません。

例えば、1991年に大ヒットしたテレビドラマ「東京ラブストーリー」に登場する「赤名リカ」です。

「セックスしよ!」などと突飛なセリフをパッと口にして人を振り回すこともあるのですが、そうした大胆な発言と行動が、常識的な人には新鮮であり、魅力的です。

大きな水たまりに映る大きなジャンプをする女性
写真=iStock.com/daruma46
※写真はイメージです

楡野鈴愛もADHD的

最近のドラマでは、NHKの朝の連続テレビ小説「半分、青い。」のヒロインである楡野鈴愛にも、「思いつきで勝手なことを言う」といったADHDの特性が見られていました。

1971年に生まれたヒロインの鈴愛は、そそっかしく勘違いによる失敗も多いけれども、何事にもくじけずに挑戦していく気概のある少女です。

岐阜県の田舎町、東美濃市のふくろう商店街にある食堂の長女として生まれた鈴愛は、子ども時代に片耳の聴力を失いましたが、絵を描くことが好きな明るい少女に成長しました。

鈴愛は飾り気のない性格で、周囲からは「お前の口は羽よりも軽い」と言われていました。

高校3年生の夏休み、鈴愛は幼なじみの萩尾律から借りた秋風羽織の少女漫画に熱中していました。鈴愛の就職はなかなか決まらなかったのですが、祖父の尽力もあってようやく農協から内定を得ることができました。

ところがその直後、秋風のトークショーに行った際、弟子入りの誘いを受けたことをきっかけとして、鈴愛は就職をやめて、東京の秋風の元で漫画家を目指すことを決めてしまったのです。

鈴愛には、ADHD的な特徴が顕著に見られます。いつも彼女は何かをやらかしてしまいます。慌て者で、授業中にぼんやりしていたことを教師に注意されたときは、焦って立ち上がろうとして転んでしまいます。本人も自分がそそっかしくおっちょこちょいであることに悩んでいましたが、興味をひくことが出てくると、悩みはすぐに忘れてしまうのでした。

鈴愛の行動は予想がつきません。男子に向かって本気で刃向かい、機関銃のようにしゃべり続けたりもしました。こうした彼女の言動にはADHDの特徴がよく見られていますが、同時に魅力的な面でもあるのです。

2018年に亡くなった漫画家・さくらももこさんも、ADHDを思わせるエピソードをいくつも残しています。

じっとしていられない

一般的にも「ADHD=多動で落ち着きがない」というイメージを思い浮かべる方が多いようです。典型的なのは、「授業中、席にじっと座っていられず、歩き回る子」というイメージなのですが、そこまで目立つ多動はまれな例です。

子どもであっても、手足をモジモジさせたり、手遊びをしたり、視線がキョロキョロしたりするぐらいのことが多く、立ち上がって歩き回ることは多いとは言えません。

いつも椅子をガタガタさせているのは、多動の症状である可能性があります。

また大人になると一定程度、本人の努力で抑えることができるため、多動といっても貧乏ゆすり程度のことが多いです。例えば、いつも米粒や粘土を持ち歩いて、手で丸めている患者さんがいました。彼は、手の指を動かすことで、内面の落ち着きのなさを解消していたのです。

それでも、彼らがじっとしているのが苦手なのは確かです。

気が散りやすく、空想癖も

「気が散りやすい」のも、衝動性と関連しています。例えば、目の前にやらなければならない仕事があるのに、よそ見をしたり、別の仕事に気を取られたりしてしまいます。

また、空想癖もあります。特にADHDの子どもに多いのですが、授業を聞いているようで実は聞いておらず、頭に思い浮かぶイメージを楽しんでいます。

前述のさくらももこさんも、自らの空想癖について、「『うわの空』の詳細」において、次のように回想しています(『まる子だった』さくらももこ)。

「授業中、私はいつでも自己流に過ごしていた。先生の話もみんなの意見も何もきいていないのである。では何をしているのかといえば、雑誌の連載漫画のつづきを気にしていたり、自分の欲しいオモチャやペットの事を考えたり、(中略)ノートの隅にらくがきしたり、まァいろいろとやることはあったのである」

「人間発動機」と呼ばれた野口英世

こうした多動・衝動性にもとづく行動が、「エネルギッシュで活動的」に見えることもあります。

しかし普通の程度ではありません。過剰に活動的なのです。

千円札の肖像になった偉人、野口英世はADHDだったと考えられています。米国では昼も夜もなく研究を続け、疲れたら靴を履いたまま眠ってしまうので、寝間着を持っていなかったという逸話もあります。

連日、不眠不休で働き続ける彼を見て、ロックフェラー医学研究所の同僚のつけたあだ名は「人間発動機」、「24時間仕事男」でした。

野口英世と言えば、高名な学者で、貧しい暮らしの中で刻苦勉励によって世界的な発見を成し遂げた努力の人、あるいは幼児期に負った左手の障害を乗り越えた不屈の人物といったイメージを持っている人が多いと思います。

1876年に福島県耶麻郡三ッ和村にて出生。生家は農家でしたが、父親は酒好きの放蕩ほうとう者で、母シカの働きによって家計が支えられていました。

子供時代から英世の優秀さは際立っていました。小学4年のときには級長となり、さらには代用教員に指名され教壇で授業をするまでになりました。高等小学校を卒業して上京し、開業医に弟子入りをし、ほぼ独学で医術開業試験に合格しています。

この時期の英世の努力にはすさまじいものがありました。自分をナポレオンにたとえ深夜まで医学の勉強をし、さらに英語、ドイツ語、フランス語もマスターしています。まさに過剰集中の結果でしょう。

過剰な集中が業績につながった

医師の資格を得たといっても、学歴も後ろ盾もない英世の生活は楽ではありません。彼の極端な浪費癖も拍車をかけました。

岩波明『医者も親も気づかない 女子の発達障害』(青春出版社)
岩波明『医者も親も気づかない 女子の発達障害』(青春出版社)

何よりも、英世は借金魔でした。身近な人からは、限度を超えて借金をしましたが、返済することはほとんどなかったようです。その上、しの金は持たないとばかり、持っている金はあるだけ遊興で蕩尽とうじんしたのです。後に英世が米国留学するときにも、当時の婚約者から支度金として受け取った大金を一晩で使い果たしてしまったことが知られていますが、こうした傾向は「衝動性」の表れと考えられます。

一方で、英世の研究に対する打ち込み方は、尋常ではないものがありました。彼には私生活というものがなかったのです。朝も昼も夜も研究を継続し、倒れるまで仕事に明け暮れたのでした。

過剰なまでの仕事への集中、衝動的な浪費癖と生活力のなさは、英世のADHD的な特性を示すもので、世界に誇れる数々の医学の業績は、このような特性と関連が大きかったのです。

野口英世のように、ADHD特有の「過剰な集中」が、大きな業績につながることもあります。しかし、これほど過剰な活動性は長続きしません。「倒れるまで仕事をしていた」人が、やがてオーバーワークで倒れ、うつ病を発症するというケースも少なくありません。

また、本人が本当にやりたいことでないと、こうした活動性は発揮されません。「同じような集中力で学校の勉強もがんばる」とは、なかなかならないのです。