全人格をかけて部下と向き合う

実際にこのエンゲージメント力を高めようとしたら、それは本当に大変な仕事です。ある意味でそれは全人格的な勝負になります。スキルも大事ですが、その組織をどう思っているのか、今後どうしていきたいのかというような志がなければ続きません。

部下を育てたい、組織を活性化させる戦力となってもらいたい、成果を出してもらいたい。しかし、相手も人間ですから、やはり中間管理職に就く人間の人間力、すなわち人格が試されているわけです。

これまで取り上げてきた文化人類学者デヴィッド・グレーバーは、その主著である『負債論』のなかで、「基盤的コミュニズム」という新しい概念を作って紹介しています。

これは、従来の資本主義に対立するようなコミュニズム(共産主義)と違って、資本主義内でも人間の活動や生活を支えるために常に発動しているような「助け合い」だと言います。

たとえば、賃金労働をしている場合、仕事に充てられている時間はその人が仕事をするための時間です。しかし、あなたがエンジニアだとして、ドライバーを忘れてしまったなら、同僚が持っているものを「貸して」と言うこともあるでしょう。本来なら同僚は、自分の仕事のために、その時間を使わなければならないはずですので、貸す必要も、工具箱から出してわざわざ手渡してあげる必要もないのです。自分の仕事とは別のことに時間を使ってしまうわけですから。

しかし、往々にして、人はドライバーを貸しますし、わざわざ手渡します。資本主義は、こうした基本的な人間の助け合い、つまり「基盤的コミュニズム」に支えられて回っているのです。そこには、人間同士のやりとりがあります。このことを、グレーバーは「人間の経済」と呼びました。

私は中間管理職においても、同じことが言えるのではないかと思います。部下ときちんと人間的に向き合い、全人格をかけてやりとりすること。それがこれまで述べてきたように、エンゲージメント力を高め、組織のパフォーマンスを最大化し、成果を上げることに繫がるのではないかと思います。

つまり、グレーバーが言う「人間の経済」とは、全人格の勝負なのではないでしょうか。

ブルシット・ジョブとシット・ジョブ

デヴィッド・グレーバーは『ブルシット・ジョブ』のなかで、不必要な仕事にもかかわらず、なぜか給料が高い「ブルシット・ジョブ」と、社会や生活を成り立たせるためには欠かせない仕事であるにもかかわらず、なぜか給料が低い「シット・ジョブ」を明確に分けています。

新型コロナウイルスの流行によって、経済活動の停止が余儀なくされたなかで、社会にとって必要不可欠な仕事のことを、「エッセンシャル・ワーカー」という言葉で言及されるようになりました。

このエッセンシャル・ワーカーは、主に医療や福祉、農業、小売業・販売業、通信から公共交通機関など、社会生活を支える仕事に従事している人々のことを指します。

医療や福祉の分野では、医師や看護師、介護職員といった人たちは、私たちの生命や健康の維持には欠かせない存在です。また私たちは、スーパーやコンビニで生活必需品を購入しますが、そのためにはそこで働く販売員、パートやアルバイトの方々の存在が欠かせません。

また、仕事や学校、病院に行くためには、公共交通機関が動いていなければ、通勤・通学・通院もできません。電車やバスを安全に運行するために、多くの運転手の方や駅員の方が日夜働いているわけです。

このようなエッセンシャル・ワーカーの方々のおかげで、私たちの日常は滞りなく流れているのです。しかし、介護業界を見てもわかるとおり、そうした必要不可欠な仕事に従事する職は、総じて、賃金が安いことが問題とされてきました。

つまり、デヴィッド・グレーバーはこのようなエッセンシャル・ワーカーのことを、必要不可欠な仕事をしているにもかかわらず給料の安い「シット・ジョブ」と名づけたのです。