37歳でもまだまだ戦える
精神的にスッキリした状態で五輪モードに切り替えることができた竹内さん。10月までは国内でフィジカル強化に邁進していたが、11月以降は再び欧州へ飛び、今シーズン終了まで実践経験を積み重ねようと奮闘している。猛威を振るうコロナの影響で、スノーボード・ワールドカップは中止や延期、スケジュール変更が相次いでいるが、苦境をものともせず、彼女は持ち前のバイタリティで先へ先へと突き進んでいる。
現役復帰を決断し、9月に赴いたスイスでは、世界トップ記録と2秒もタイム差があり、愕然としたというが、短期間のトレーニングでグッと記録を上げるすべを身に付けているのが彼女のすごみだ。
「北京五輪を目指して本格始動した9月のスイス遠征では、『これじゃ世界で戦えない』と打ちのめされるところからのスタートでした。でも今の自分には、なぜトップと2秒離されているのかが明確に分かるんです。ビデオを見て徹底的に滑りを分析し、最終的には0.5秒差くらいまで縮まりました。『全くお手上げの状態』からその水準まで向上できたのはすごく自信になりましたし、『30代半ばでも、まだまだ戦える』という手応えをつかめました」
後悔しない人生を
長期渡欧する直前、彼女は強い目力で前を見据えていた。五輪開催や妊娠・出産・子育てなど、近未来を考えれば不安要素は少なくないが、そんな迷いなど一切見せないところが、竹内智香が竹内智香たるゆえんである。
「アスリートの1人として、東京五輪は可能な限り、開催してほしいです。そもそも五輪というのは、世界の平和を願って開催するスポーツの祭典。その由来や真の意味を理解している人は少ないと思います。今の状況は人間に与えられた1つの課題なのかなとも思います。私自身は五輪がなくなったとしても、アスリートという職業を全うするだけ。表現する場所がなくなったとしても受け入れるつもりで、後悔しない人生を生きていきます」
女性アスリートが1人の女性としての幸せをつかみながら、高みを目指せる時代はいつ来るのか……。竹内さんは今、必死にもがいている。そんな生きざまを見ていると、そんな幸せな時代がやってくることを願わずにはいられない。
文=元川 悦子
1983年北海道旭川市生まれ。クラーク記念国際高校卒業。中学生の時に長野五輪を見てスノーボード競技に取り組む。2002年ソルトレークシティ五輪22位、06年トリノ五輪9位。2007年に練習拠点をスイスに移し、5年間スイスチームとトレーニング。2010年バンクーバー五輪13位。2014年ソチ五輪で銀メダル。日本人女性のスノーボード選手で初のメダル獲得。2018年の平昌オリンピックでは5度目の出場を果たした。