Q.デジタル革命が人類にもたらすものは何ですか?
A.社会は近代モデルからポスト近代へと移行します
現在進行形の新型コロナウイルス問題から考えてみましょう。というのも、この感染症は、デジタル革命とあいまって「ポスト近代」の姿を予感させるものだからです。
フランスの思想家ミシェル・フーコーは、近代社会のモデルを、人々を同じ場所に集め、規律訓練をする監獄のシステムとして描き出しました。すなわち学校、会社、軍隊、病院のいずれも監獄のように、同じ場所に人が集まり、規律的に訓練され、集団的秩序を形成しているわけです。
しかし新型コロナのような感染症に対して、近代社会モデルは非常に脆弱でした。日本がその好例です。近代的スタイルをとってきた日本社会は、皆が一堂に会し一緒に活動できなくなったとたん、機能不全に陥ってしまうのです。
実は1990年代以降、フーコーの監獄モデルとは異なる、「管理社会モデル」が哲学者たちの間で議論されました。それは、人々が分散していても、デジタルテクノロジーとそのネットワークを利用して、国民一人一人の情報(身体状態、位置、行動など)を登録し、全員をダイレクトに管理するというものです。たとえば韓国などのようにスマートフォンのアプリを通じ、国家だけではなく、市民が相互に新型コロナの感染者との濃厚接触を追跡する方法は、こうした管理社会モデルに近いアプローチです。
このように、人々を同じ場所に集めずとも、デジタル技術によって常に人々の行動がコントロールされる社会が、ポスト近代のモデルといえます。デジタル技術の進展とともに、私たちは「同じ場所で集団的に活動する」近代的スタイルから、「集団的な活動を避けて分散して活動する」ポスト近代的なスタイルを選択していくことになるでしょう。
▼フーコーの「監視社会」の考え方
フーコーは『監獄の誕生』という書で、「パノプティコン(一望監視施設)」という監視システムに注目して、近代社会を分析しました。パノプティコンでは、囚人から監督者は見えません。見えないからこそ、囚人は監視の目を常に意識し、自発的に規律に従うようになるとフーコーは分析します。こうした機能は、刑務所だけでなく、学校や病院など、近代社会全体に浸透しているというのがフーコーの考えです。