AIは人間にとって脅威なのか

デジタル技術のなかでも社会に大きなインパクトを与えたのがAIです。ただし、時々見られるAI脅威論に関しては、慎重に考えましょう。

現状、AIはまだ道具の域を出ていません。私たちが設定する条件に基づいて、情報を高速で計算処理することにはAIはけていますが、人間ならば誰でもできるような常識的な判断はいまだにできていません。

哲学的に考えた場合、人間のような思考や判断をAIが獲得し、凌駕りょうがする可能性はあると思います。でもいまのところ、そこまで進展していませんし、見通しも立っていません。

ですから「AIには倫理的な判断ができるか」という問いは誤解を招きやすいのです。現状、AIはただの機械であって、どう行動すべきかを自律的に判断したりしません。それらを設定するのは人間の側です。

哲学の一部門である倫理学でも、正義については複数の考え方があります。犠牲者が一番少ないようにしようという功利主義的な考え方もあれば、どんな状況であっても意図的に傷つけることは絶対にしないようにするという義務論のような考え方もある。これらの判断をAIに組み込むことはできますが、そこでトラブルが起きたとしても、それは人間の側の倫理的思考の問題なのです。

もちろん、AIが人間とは異なる判断基準を持って思考することは考えられます。しかしその場合、AIが人間の生命や安全を尊重するとは限りません。人間には理解不能なAIを実装したい人はほとんどいないでしょう。

▼アドルノとホルクハイマーの「啓蒙の弁証法」
20世紀ドイツの哲学者アドルノとホルクハイマーは、合理的な理性である啓蒙の精神が、やがて自らを否定し、非合理な神話や暴力に転化する理路を『啓蒙の弁証法』という書で解き明かしています。その考えをAIに応用することもできます。AIは、人間のためにつくられたものですが、自律的学習を高めた末、人間と対抗する力を手にするかもしれない。人間は自らつくり出したものに襲われる可能性もあるのです。