あたらしい納棺師のかたちを模索して
ぼくは自身の会社で、納棺だけでなくお見積もり、お打ち合わせから葬儀、火葬まで――つまり葬送のすべてに納棺師が寄り添う「おくりびとのお葬式」を提供しています。
一般的に納棺師によるご遺体のケアが1回程度のところ、ぼくたちは状態をしっかり見極めながら何回もケアに入ります。
だからいつでも、まるで生前のようなお顔を保つことができる。「変わり果てた姿」から目を背けずに済む。ご遺族が故人さまに触れることができるし、顔を見ることができるし、話しかけることもできるのです。
また、葬儀のかたちも、自由です。たとえば棺のグレードや祭壇の花などオプションをただ選んでいくような一般的なお葬式ではなく、ご遺族や故人さまらしいスタイルを創りあげていきます。
ではぼくはなぜ、この「おくりびとのお葬式」をはじめることにしたのか。業界の話になってしまうのですが、ご存知の方はほとんどいないと思いますので、すこしだけご説明させてください。
一般的に、納棺師は葬儀会社の外注先、もっといえば「下請け」です。葬儀会社から納棺師が所属する事業社に「○時、こちらに向かってください」と依頼が入り、現場に派遣される。ただ、そのとき知らされるのは、故人さまの年齢や性別、ご遺体の状態といった、最低限の情報のみなのです。
どんな方だったのか?
どんな人生を歩んできたのか? どんなご家族がいるのか?
こうした人間性の核となる部分は、まったく把握することができませんでした。しかも、納棺師がご遺族と直接お会いできるのは、納棺の儀式をおこなうたった1時間。ほんとうに短い時間ですから、故人さまのこともご遺族のことも、ほとんど知ることが叶わないままでした。
「もっとできるのに」という思い
葬儀会社からの連絡のタイミングもまちまちで、死亡から呼んでいただくまで時間が空いていることも多々ありました。現場に向かったときには、口が開きっぱなしだったりまぶたが半分開いていたり……そんな状態でご親戚に囲まれているご遺体を見ると、かなしい気持ちになりました。
また、呼ばれたときにはご遺体の状態がすっかり変化していて、悔しい思いをした現場も、何度となく経験しました。
もしかしたらみなさんも、故人さまのお顔を見ることができない葬儀に参列されたことがあるかもしれませんが、こうした事情もあるのです。ご遺体はどう変化するかわからない部分が多くありますから、適切なタイミングでの処置はとても大切です。
誤解していただきたくないのですが、これは決して業界批判ではありません。
ただ、「初期ケアをしたい」と思っても、葬儀会社に呼ばれなければ故人さまに触れることができない。「ちょっと化粧直しをしたいな」と思っても、許可が必要になる。どうしても不自由さはありますし、故人さまとご遺族のほうだけを向いて仕事をするのがむずかしい構造だと言えるでしょう。
もちろん、納棺の1時間だけでも、故人さまやご遺族にできることはたくさんあります。そこに誇りはあるし、納棺師の腕が問われる部分でもあります。
けれど一方で、「もっとできるのに」と歯がゆい思いを抱くのも、事実でした。
死が、ひとを生かす
もっとお別れの質を高めたい。
ご遺族のみなさんが前を向けるようなお別れの場をつくりたい。
――独立して数年、そんな思いを持ちつづけた結果、自分たちで葬儀場を持ち、納棺師が納棺から葬儀まですべておこなう会社を立ち上げることにしました。
故人さまを最後におくる立場である納棺師が、はじめからご遺族としっかりコミュニケーションを取る。故人さまが「どう生きてきたのか」をより深く理解する。そのうえで「最後のお別れ」をプランニングする。
そんなあたらしい葬儀のかたちをつくりたい、と考えたのです。業界としてはありえないことだけれど、「いいお別れ」を追求するにはそうするしかない、と必死でした。
大切なひとを失うことは、深いかなしみを伴います。こころがぎゅっと痛むようなお別れ、世界が終わってしまうような絶望を感じるでしょう。
しかし、ぼくはできるならお別れをとおして、遺されたひとの未来にすこしでもいい影響があればと願っています。大切なひとを「おくる」ことをきっかけに、また新しい人生をはじめてほしいのです。
「死が、ひとを生かす」
これはぼくが大事にしている価値観です。大切なひととのお別れによって、ご遺族の方々が生きていることを再認識し、「どう生きるか」を真剣に考え、その方向に踏み出すきっかけになる。どのようなお別れの時間を経験したかは、遺されたひとの人生や未来におおきく影響を与えるはずです。
故人と遺族について考え尽くす
そのためには亡くなったひとを思い、感謝し、弔う時間が欠かせません。
だからぼくたちもひとつひとつのお別れに真摯に向き合い、故人さまとご遺族について、考えきるのです。
そんな覚悟を持って納棺や葬儀をおこなっているからこそ、ぼくは故人さまとお話ししてしまうのだと思います。どうか、最後のお別れの時間を一緒につくらせてくださいね、と。