死生観を持ち、最後の瞬間に向き合う

結局、所定の時間から90分ほど押して、「これ以上はほんとうに無理」というタイミングで処置をはじめることになりました。

しかし、ぼくの混乱は解けないまま。どこか「作業」をおこなうように手早く処置をおこない、ご遺族の顔も直視できず、逃げるように退室して次の現場へ向かいました。

当然ながら次の現場にもおおきく遅れてしまい、葬儀会社は怒り心頭。もちろんクレームにつながり、社長や上司たちが菓子折を持って謝りに行く事態となったのです。

また、朝いちばんに来て夜はいちばん最後まで残る、休日も返上して働く「元社長の息子」が起こしたはじめてのミスに、失笑や嘲笑も聞こえてきました。

けれど、そんなことはどうでもよかった。

あの90分はご遺族のためになったのか?
もっといいサポートができたんじゃないか?
声のかけ方で、もうすこし痛みをフォローできたんじゃないか?

そんなことを、ひたすら考えつづけました。

当時はこれといった答えは見つけることができませんでしたが、ひとつ痛感したのは「自分は知識や技術を過信していた」という事実です。納棺師としての技術を磨き、知識をアップデートしつづけていれば、一流になれると思っていた。

けれど自分に足りないのは、たしかな「死生観」。

どこまでいっても正解のないこの価値観を追究しなければ、一流の納棺師になどなれないと気づいたのです。

――仕事に対して、死に対して、生きることに対して、もっとちゃんと自分なりの軸を持とう。そうしなければ、亡くなった方にも、遺された方にも失礼だ。もっと考えよう。もっと向き合おう。

そう決めてから、ぼくの納棺師としてのスタンスはおおきく変わった気がします。それまでひたすら知識と技術を追究しようとしていた自分にとって、これがほんとうの意味で真剣に、「最後の時間」について考えはじめた瞬間だと言えるかもしれません。

木村 光希(きむら・こうき)
納棺士、ディパーチャーズ・ジャパン代表取締役社長

1988年北海道生まれ。映画『おくりびと』の技術指導を行った納棺士の父に幼少期から納棺の作法を学ぶ。大学在学中に父が設立した納棺・湯灌専門会社にて納棺士としてのキャリアをスタート。大学卒業後、「納棺」の文化を広めるために韓国・中国・台湾・香港などで納棺技術の現地指導を行う。2013年、人生の終末期をサポートするご遺体処置のプロを養成したいという思いから、株式会社おくりびと®アカデミー、一般社団法人日本納棺士技能協会を設立。2015年、納棺士が葬儀をプロデュースする葬祭ブランド「おくりびと®のお葬式」を立ち上げ、全国で14店舗展開中。NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」に出演し、大きな反響を呼んだ。