自分が仕事優先の生き方でも、部下や後輩はそうではない場合も。仕事は給料をもらうためのものと割り切りプライベートを優先する人もいる。このギャップは管理職になると誰もが直面する壁かもしれない。
「職場ではみんなで同じ目的に向かって動かなければならないけれど、ひとりずつ人生観と仕事観は違う。だから、こちらから後輩に歩み寄り、話し合っていくしかないんですよね。たとえ相手と価値観が違っても、『あなたを理解しようとしている』ということは伝えるようにしています。コミュニケーションに正解はない。逆に、正解があると思ってしまうと、苦しいのだと思います」
自身も多忙ゆえに父親の介護がうまくいかず私生活との両立に悩んだことも。離職も考えていた37歳のときに父親が亡くなり、そこで仕事をして生きていく覚悟を決めたという。婦人服部に異動し、やる気満々で新しい仕事に臨んだが、基本的な知識が足りないことに気づき、洋裁の教室で洋服の基礎を学んだ。
「いつもそうなんですよ。辞令が出てからアタフタと勉強する(笑)。おそらく上の人には『坪田は、こちらが言ったら、なんとかして頑張るから』と思われていたのかも」
20年前のアパレルは男社会。データを示して信頼された
40歳目前でバイヤーに抜てきされ、アパレル業界も男性社会であることを思い知らされた。20年前の当時は「女性はアシスタント」と見なされ、取引先に悪気はなかったものの、先入観によって展示会に案内されないことも。相手にしてもらえないのは自分に力がないからだと落ち込んだ。
そのとき、社内のファッションアドバイザーが助言をくれた。「取引先の人たちは女性に慣れていないんだから、実績をつくらなきゃ」と言われ、「自分がダメなのではなく、女性だからなんだ」と気づいて奮起。販売員や顧客の生の声を集め、百貨店バイヤーにしかできない分析を作って取引先に見せ、プレゼンした。
「それを続けていたら『坪田さんは数字でくるから、いやだね(笑)』と言われたぐらい。でも、それでようやく認めてもらえました」
男性より劣っている部分は人一倍努力し、残業もして実績をつくった。しかし、パンフレットの校正ミスで取引先に激怒され「あなたは信用できない」と言われてしまったり、売れると思って発注した商品がまったく売れなかったりと、胃が痛くなることも。逆に、ブランドに何度もかけあって販売にこぎつけたオリジナル商品がヒットするなど、バイヤーとしての酸いも甘いも味わった。