関東最大の百貨店にバブル期から30年間勤め、執行役員に就任した坪田紅さん。好況も不況も、バイヤーとしての成功と失敗も経験したキャリアの中で、最初のつまずきは30歳で売り場のリーダーになったときだと振り返る。
東武百貨店 執行役員 広報部長 坪田 紅さん
東武百貨店 執行役員 広報部長 坪田 紅さん

熱心な指導で後輩に泣かれ、人それぞれの仕事観を知る

デパートでハイブランドのバッグやアクセサリーが飛ぶように売れ、人気ブランドのセールでは開店待ちの行列ができる。そんなファッション業界盛況の1988年、坪田紅さんは東武百貨店に入社した。大好きなデパートで働けるのが楽しくて「最初は“腰掛け”気分だった」というが、売り場での仕事ぶりが認められ、4年後、池袋本店が売り場を拡大し日本一(当時)の巨艦店となったタイミングでインポート雑貨売り場のリーダーに。しかし、いわゆる“バブル入社組”として入ってきた後輩への指導でつまずいたという。

「私はもともと思い込みが強く、気負ってしまいがち。リーダーになったからにはきちんと指導しなければという思いで、指導の仕方に熱が入りすぎてしまいました。それが強すぎて、後輩に泣かれてしまったんです。私としてもショックでしたね。それに、後輩たちは人数が多いので、『これは新入社員が初めに覚える仕事』と教えても『そんなの、気づいた人がやればいい』と全員で反論されてしまう。多勢に無勢という状況になり、チームマネジメントがうまくできませんでした」