人材サービス会社「パーソルキャリア」の生え抜き社員で、同社初の女性役員となった喜多恭子さん。管理職時代は厳しい上司として知られていたが、内心ではずっと不安と孤独を感じていたそう。世の女性の「働く」を後押ししてきた喜多さんの、山あり谷ありのキャリアとは──。

入社1年目の業績は同期で最下位クラス

学生時代から「組織の決められたルールの中で働くのは得意じゃない」と感じていた喜多さん。将来は組織を出て独立することを前提に就職活動を行い、男女平等にチャンスがもらえる、専門知識や人脈を得られる、独立できる程度のお金がもらえるといった条件をクリアする会社を探したという。

パーソルキャリア喜多さん
パーソルキャリア喜多恭子さん 写真提供=パーソルキャリア

希望にマッチしたのは、当時ベンチャー企業だったインテリジェンス(現・パーソルキャリア)。人材業界に関する知識はなかったものの、ここで5年ぐらい働いて社会人としての基礎を固めようと入社を決めた。

「バリバリ活躍するつもりで入ったんですが、自己イメージと違って全然成果を出せなくて。仕事はできないし、プライドが邪魔して人にも聞けないしで、1年目は同期の中でも最下位群で過ごしました」

当時の仕事は関西支社での法人営業。あまりの業績の低さに、上司から別の職種を打診されたこともあったそう。暗に「君に営業は無理」と言われたも同然と感じたが、喜多さんは「この仕事ができなきゃどこに行っても通用しない」と踏ん張った。

早くに“できない自分”を自覚できたのがよかったのかもしれない。上司の言葉をきっかけに、わからないことがあれば積極的に人に聞こう、できない分は量でカバーしようと決心。「他の人の2倍働く」と決めてがむしゃらに頑張ったところ、2年半を過ぎた頃から業績が上向き始めた。