部下の離脱や事業撤退を経て大きく成長
頼ってくれない、信頼してくれないという不満から出た言葉だった。喜多さんはショックを受けたが、振り返ってみればその部下の言う通り。これをきっかけに、強がったり独走しようとしたりする自分を変えなければと覚悟を決め、全部下の前でありのままの自分をさらけ出した。
初めての事業部長職でわからない部分もあること、事業への思い、自分の弱み、今困っていること──。ありのままでいいと気づく前、「異動させてくれ」と言われる前の自分だったら、決して部下には話さなかったことばかり。それを勇気をふるって伝えると同時に、部下の話を聞くことにも努めた。そのかいあって、組織は少しずつまとまっていったという。
「私にとって最大の転機になりました。自己開示の重要性を痛感しましたし、自分にできることとできないことを自覚すること、周囲と協力・相談することの大切さも知りました」
リーダーとして大きく成長した30代後半。続く40代で数々のピンチを乗り越えられたのも、この転機があったからこそだろう。他社との事業統合では、社員がよそに行くことに寂しさを感じたものの、彼らの成長や幸せを願って懸命にプロジェクトを進めた。50年もの歴史を持つアルバイト求人情報サービス「an」の撤退も、寂しさを抱えながら事業部長として責任を持って完了させた。
統合も撤退も決して社員全員が満場一致でポジティブに捉えられる出来事ではないが、ビジネスを継続させる上では必要不可欠な場合も少なくない。喜多さんにとっては、経営判断の難しさや、利と情のバランスを学んだ出来事でもあった。
「決まるまでは散々意見も言ったし、泣きもしましたね(笑)。でも、決定した後は『いかに前向きに楽しくやるか』しかないと思って突き進みました。メソメソしていても誰もハッピーになれないから」
anの撤退が完了した年、執行役員に昇格。30代前半からずっと女性では唯一の上級管理職だったため、役員の重責を担う覚悟は持っていたつもりだったが「実を言えば怖かったんですよ」と笑う。
それが、統合と撤退をやり切ったことで腹がすわり、会社の危機を自分ごととしてとらえる姿勢ができた。その頼もしい姿が、経営陣に「ついに覚悟ができた」と映ったのかもしれない。
女性活躍が叫ばれる時代。後輩にはいつも「追い風だ! ジェンダーフリーの風に乗れ!」と伝えているという。キャリアプランなんて大まかでいい、まず風に乗ってから考えよ──。人材サービス業のプロであり、さまざまな試練を乗り越えてきた「働く女性」の一人。そんな喜多さんの言葉は、多くの女性に力を与えてくれそうだ。
■役員の素顔に迫るQ&A
Q 好きな言葉、座右の銘
お金が欲しいんじゃない。ただ、素晴らしい女になりたいの。(マリリン・モンロー)
Q 愛読書
『モモ』ミヒャエル・エンデ
「幼い頃から事あるごとに読み返しています。主人公のモモのように、しっかりした軸のある人間でありたいですね」
Q 趣味
プラモデル、ミニチュア制作、漫画、読書
Q Favorite item
ハイヒール
文=辻村洋子
1999年、インテリジェンス(現・パーソルキャリア)入社。派遣・アウトソーシング事業、人材紹介事業などを経てアルバイト求人情報サービス「an」の事業部長に。中途採用領域、派遣領域、アルバイト・パート領域の全事業に携わり、2019年に執行役員・転職メディア事業部事業部長に就任。20年より現職。