女性同士で足を引っ張り合わない

また、女性が管理職を目指さないのは「こんな上司になりたい」というロールモデルがいないという理由もあると聞きます。確かに若い世代は、仕事中心で働きすぎだった現在の女性上司のようにはなりたくないかもしれません。けれども、彼女たちのキャリアそっくりまねしなくても、こういう時どうしたんだろう、こんな時の選択は……と、部分部分をまねしつつ、相談しながら連帯し、昇進の機会を増やしていくのは、一つの有効な手段です。「私が我慢したんだから」と言われる可能性もあるかもしれないですが……。

東京都知事の小池百合子さんについて書いた『女帝』(石井妙子著/文藝春秋社)という本がありますが、読んでびっくりしたのは著者が女性であること。女性性の強調や政策など、小池さんには問題もありますが、本の中で容姿という、自分で変えられない要素に言及するというのを、しかも同性がするので驚きました。男社会の中で活躍するとこういう点で釘を刺されるんだと……しかも、女性が女性に。これが男性の菅義偉首相なら、同じように苦労人でのし上がってきたとしても容姿には言及されない。問題のある振る舞いに対する批判は重要です。それは同性、異性関係ありません。ただ、本質でないところに注目すると、政党や政治の構造的な問題が見えにくくなるし、無駄に女性の側が分断されてしまう。

私の個人的な体験をお話しますと、先日、安倍晋三元首相が辞任したとき、ラジオに出演したのですが、識者として呼ばれたのは男性ばかりで、女性は私だけでした。ふだん職場の大学でも教員は男女半々くらいですから、その状況が予想より怖く感じました。男性識者たちがたくさん話すので、私が話す時間は短くなってしまい、それなのに突然「女性として意見を」と求められる場も少なくない。そこで、放送前に勇気を出し「男性ばかりでやりづらいです」と言ったんです。その後、番組のスタッフさんたちに男女比を再検討いただいたので、とっさに「(抗議して)すみません」と謝ってしまったんですが、考え直し、「やはり今の『すみません』は取り下げさせてください」と言いました。すると、女性のリスナーさんから「自分も勇気が出ました」「励まされました」というメッセージが届いたんです。

私たちは女という属性による息苦しさを共有している

前回の記事でも触れましたが、現在の社会は個人化しつつ流動化しており、女性一人ひとりの立場も全然違う。ただ私はその点を強調しすぎていたのかもしれません。だからこそ、これまで正直、女性同士のつながり、いわゆるシスターフッドができるとは期待していませんでした。しかし、ラジオ出演時の私のように、男性ばかりの場でやりづらい思いをしたり、発言することが怖いと思ったりするのは、女性ならみんな同じ。その場でつい「すみません」と謝ってしまうのも……。これらは女という属性による息苦しさの問題でもあったたんですね。

これまでは「2020年までに女性管理職を30%に」という政府の目標などを聞くたびに、「数をそろえてどうなるんだ」と思う気持ちもありました。単純に、女性の数を多くすることに意味があるんだろうか。パーセンテージを決めて数をそろえると、反発も起きやすいのではと考えていたんですが、やはり“数”には意味があると思います。私が男女半々の職場で息をするように意見を言えているのは、社会全体から見れば非常にレアなことなんだと、気付かされましたね。