1日の売り上げ6000円からのスタート
「あの頃は海底にいるようでした。太陽の光が見えたと思ったら、またブクブクと沈んでいく」
コロナ禍のマスク不足のさなか、ツイッターで爆発的に拡散された「なんでもマスク」を開発し、5カ月で7万個を売り上げる大ヒットを生んだA.Y.Judie。しかし、じつはその11年前、その創業者である土屋順子会長は人生のどん底にいた。
人生の指針を見失い、神戸で売れない雑貨店を開いていたものの、占い師の「横浜に行け」というお告げを受けた順子さんは、その翌日には横浜・元町の地に立っていた。そして資金が底を尽きかける中、最後にものづくりをしたいと決めたのだった。
100円ショップやライフスタイルショップを見に行くと、「マイ箸ブーム」が来ていたこともあってか、どうやら売れているのはランチ用品やパスケースなど身の回りのものだった。ただ、スタイリッシュな商品は市場に少ないように感じた。
そこで、ミシンを事務所に持ち込んで、自分たちで作ってみて、思い切って展示会に出品した。これが思った以上に好評で、その商品を東急ハンズに売り込みに行くと、お店に置いてくれることになった。
とはいえ、1日の売り上げは6000円程度。これでは食べていけないと、ダメ元で箸メーカー大手の展示会に持ち込んだら500万円の注文が取れた。これで2カ月は食いつなげる、と思った。加工賃を節約するため、大学生だった娘の香南子さんが製作の手伝いに来てくれた。
この商品ならいけるかもしれないと考えていたら、今度はまた思うように売れない。そんな繰り返しの時期だった。海底から少し浮き上がり、太陽の光を見つけてはもがくものの、また底に沈んでしまう。資金面でも厳しく、銀行からの融資も受け、マイナスになっていた。
終電まで仕事をしても売り上げが上がらない。これでもまだ足りない、と自分を叱咤した。
役に立っていない自分が本当につらかった。「何か一つ小さなことでも、世の中の役に立ちたい」と、横浜スタジアム前で行われていた献血に参加し、この思いを忘れないために毎年ここで献血しようと誓ったほど、追い込まれた気持ちになっていた。