被害者の生活立て直しまで手厚く支援
「女性の家」に助けを求める被害者の中には、10代の女性もいる。Fさんは「これからの人生、再び他人を信頼して生きていけるのだろうかと心配に思いますが、みな立ち上がって前を向き、学校に戻ったり職業訓練を始めたりと、自分の道を歩んでいます。そもそも自宅を出ること自体が、勇気のいること。彼女たちからは、女性の強さを感じますし、尊敬します」と語っている。
「女性の家」では、DVの被害を受けている女性に一時的な避難場所を提供するだけでなく、加害者から離れて生活を立て直すためのサポートも行っている。ジョブセンター(職業安定所の一種で、生活保護などの手続きの窓口にもなっている)に付き添って、生活費や住居費の受給手続きを行ったり、アパートや職探しも支援する。また、ドイツでは、離婚するためには弁護士を立て、裁判所で財産分与や養育権について取り決めをする必要があるが、弁護士への相談にも同行してサポートする。こうした弁護士費用は、本人に収入がない場合は国から支給されるため、専業主婦でも安心だ。
助けを求められない女性を危惧
新型コロナウイルス感染拡大防止のため、ドイツでは3月半ばから商業施設や学校が閉鎖されるいわゆる都市封鎖(ロックダウン)が実施された。この措置は4月半ばから徐々に解除され、現在はディスコなどのように閉鎖された空間に人が集まる施設は引き続き閉鎖されているほか、大きな催しは禁止されているが、店舗や映画館、博物館、学校などは再開して日常が戻りつつある。
取材した「女性の家」では、ロックダウンにより助けを必要とする女性が増えるのではないかと、住居を複数確保して備えたが、それほど大きな増加はみられていないという。それがさらに職員の心配を大きくしている。被害を受けながらも「(加害者である)夫がずっと自宅にいるため、助けを求める隙がないのでは」と危惧しているのだ。
70年代に生まれた「女性の家」
「女性の家」は何十年にもわたる努力の成果だ。世界的には1960年代に女性運動が始まり、これまで表面に出てこなかった配偶者や恋人からの暴力が認識されるようになった。そしてイギリスのロンドンで1971年に女性たちの手で「女性の家」ができたのを皮切りに、スコットランドのエジンバラやオランダのアムステルダムにも次々と設立された。ドイツでは1976年にベルリンとケルンに「女性の家」ができた。
私の住む北ドイツのハノーファー市では、1976年に有志が「女性の家−女性が女性を支援」という団体を設立。市に対して6回に及ぶ申請を行い、長い交渉を経て助成金を獲得し、建物を借りて困っている女性の受け入れを始めた。
15人から25人のボランティアが中心となり「リーダーはおらずチームワークで運営する」「女性が安心して暮らせる場所とする」「みな対等で、情報は共有する」などの基本方針に則った活動を開始した。