数学的に考えるとは何か。ビジネス数学教育家の深沢真太郎氏は「たとえば円周率を聞かれて、3.14と答えるのは間違っている。数学とは『計算』ではなく『コトバ』を使う学問だからだ」という——。

※本稿は、深沢真太郎『数学的に考える力をつける本』(三笠書房)の一部を再編集したものです。

研究者がπのプリントされた紙の冒頭部分を手に持っている
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数学の本質は「計算」ではなく「コトバ」

シンプルな問いに対する答えほど、本質をよく表現するものです。

たとえば「給与」とは何でしょうか。

「毎月もらうもの」
「生活のかてになるもの」

そんな答えが一般的かもしれません。

一方で、「会社がしている投資」という考え方もあるでしょう。

何ごとも、リターンを得るには投資をする必要があります。会社は従業員に成果を求めて給与という投資をするのです。これが給与の本質かもしれません。

株式投資では、成果というリターンがなければ、その銘柄は持っていても意味がありません。いずれは処分することになるでしょう。そのように考えると、給与というものがより明確に見えてきます。

では、シンプルな問いをもうひとつ。

数学とは、いったい何をする学問でしょうか。

私が耳にした答えの多くに「計算」という表現が含まれていました。たしかに、数学の授業ではかなりの時間を計算に費やしました。しかし、数学の主役は本当に「計算」なのでしょうか。

私の答えはノーです。

計算という行為は、単なる作業です。先生に教えられたルールのとおりにやれば、誰でも正しい答えを導けます。ましてビジネスパーソンなら、現場では電卓やエクセルを使うだけの機械的な作業になっていることでしょう。

つまり、もし数学が計算することを主とする学問だとすると、「数学=作業」ということになってしまいます。

数学=作業? そうなのか?

どんなに数学が嫌いだった人でも、この結論には違和感を持つのではないでしょうか。もちろん私も同じです。すなわち、数学の本質は「計算」ではないということです。そこで、私の答えを1行で述べることにします。

数学とは、コトバの使い方を学ぶ学問。

この「コトバ」とは、もちろんあなたが認識する「言葉」と同義です。

わかっています。おそらくあなたは、「言葉の使い方を学ぶのは国語では?」という疑問を持ったことでしょう。もちろん、言葉の使い方を学ぶのは国語という見方も正しいのですが、私は数学もコトバの使い方を学ぶために勉強するものだと考えています。