「差別の経済学」で考える賃金格差

労働経済学のなかに「差別の経済学」と呼ばれる分野があります。これは、賃金に差が出る合理的な理由をすべて取り除き、それでもまだ格差があるなら「そこに差別があるのではないか」と考えていく学問です。

賃金に差が出る合理的な理由というのは、たとえば、高度なスキルが必要であること。そのような職業は、供給が少ないため一般的に賃金は高くなりがちです。

あるいは、危険度が高く、肉体的にもきつくて、誰もやりたがらない仕事。これはプレミアムがついて賃金が高くなるということで、労働経済学では「補償賃金仮説」と呼んでいます。

これらはどちらも供給が少ない、つまり働き手が少ないので賃金が高くなるというメカニズムを説明するものですが、逆に供給が多すぎて賃金が低めになってしまうという考え方を使った「職業殺到説」もあります。就職希望者が多い職業は、賃金が低くなりがちだということです。過去の研究では、たとえば幼稚園や小学校の先生など、女性が殺到しやすい職業は賃金が低くなる一方、エンジニアなど、女性比率が低い職業では賃金が相対的に高くなりやすいという結果も報告されています。

統計的差別による賃金格差

差別の経済学でよく語られるものに「統計的差別」があります。これは、その人が所属しているグループが過去にある行動をとったため、その人も同じ行動をとるだろうと統計的に予測することが生む差別です。つまり、先輩たちの振る舞いが原因となる差別です。

たとえばこの数年、大学医学部の入試で女子の合格者数を制限していた、という男女差別が問題になりました。この差別が生まれた背景には、「女性は眼科や皮膚科をめざす割合が多く、外科医などの不足が心配される」「女性は妊娠、育児の時期に、当直ができないなど周囲に負担をかける」といった認識がありました。

しかしこれらのことは、ある特定の受験者には、直接何の関係もありません。この学生は将来外科医をめざすかもしれませんし、周囲に負担をかけるかどうかはわかりません。しかし、医学部側にはこの学生が将来どの程度働いてくれるかが予測できないという悩ましい問題があります。これを経済学の用語で「情報の非対称性」といいます。

一般企業にも同様の状況は見られます。

厚生労働省の「雇用動向調査」では、30代の離職率は、女性のほうが高くなっています。男性は30~34歳が12.0%、35~39歳が8.6%であるのに対して、女性は30~34歳が16.6%、35~39歳が14.8%です。

企業からすれば、一般に20代の社員は投資対象です。おカネをかけて教育し、仕事の経験を積んでもらう時期です。30歳を過ぎた頃から油が乗ってくるので、そこから会社に貢献してもらって、20代の投資を回収することになります。つまり、30代で辞められると、会社にとって損失です。

採用の際に、もし能力などの評価がまったく同じ男性と女性がいて、どちらか1人を選ばなくてはいけないとしたら、上記の離職率が判断材料になるかもしれません。その男性が30代で辞める可能性はありますし、その女性が定年まで会社に貢献してくれる可能性もあります。しかし、情報の非対称性があるため、過去の統計から男性を採用するほうがいいと判断する。このように、本人ではなくその人が属しているグループの過去の統計によって、その人自身も差別を受けてしまうのが「統計的差別」です。

男女の賃金が30代以降に差が開いていく背景には、どうせ辞めてしまうだろうと入社後も育成コストを多くかけてもらえないという統計的差別も働いている可能性が指摘されています。

仕事経験の不平等も原因になりうる

たとえOff-JTの機会に男女の差はなくても、OJTでは男性には難しい仕事、厳しめの仕事を経験させる。その結果、男性のほうがスキルや仕事の経験知が高まり、30代以降に会社への貢献度が大きくなる。貢献度の違いが賃金に反映される結果、男性の給与が高くなるということも考えられます。「男性のほうが投資に見合ったリターンを出す」という実例が増えれば、それがまた統計的差別を助長することにもなるのです。