学生時代の就職活動で心が折れる経験をした人は多い。コンサルタントの勅使川原真衣さんは「受験とちがって就活は選考基準が不透明。時には履歴書に書いた“プラチナ住所”のパワーで合格する人がいるほど不公平だ。学生側も、嘆いても仕方のない社会の掟として、傷つきつつも涙を飲んで、就活という儀式を通過していく」という――。

※本稿は、勅使川原真衣『職場で傷つく リーダーのための「傷つき」から始める組織開発』(大和書房)の一部を再編集したものです。

ガッツポーズをする就活生
写真=iStock.com/byryo
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就活では明らかに「傷ついている」大学生がたくさんいる

たとえば、就活。この学校から職場への入口は、「傷つき」の宝庫であり、それと同時に「傷ついた」とは言えない事例の宝庫でもあります。

これは実話をもとに創作しているエピソードですが、うなずく方が少なくないと想像します。

就活はゲームだということくらい心得ているつもり。でも、けっこう食らう。この世は実力主義! 自分次第! なんて聞くけど、たかが企業説明会すら、自分次第どころではない。予約サイトに「満席」の表示だけが躍り、予約すら許されないのだ。

社会ってこんなところなの? 恐る恐る、難関大の一つであるW大の友人と実験してみたら、もっと心えぐられた。スタバでPCを並べて、「せーの!」で説明会予約をしようとしたのだ。友達のほうが私より驚いていたかも。目を白黒させながら、

「え! 本気? まってまって、ガチでそっちはオール『満席』じゃん。エグッ」

私も「マジ世知辛いんだけどー」と笑ったが、カフェでそうする以外の選択肢はなかった。なんか、受験より、つらいかも。受験でテストすら受けられないなんてことなかったのに……。「勉強なんて社会に出たら……」なんていよいよ言えなくなった。ヤバい。

Fラン大学はそもそも企業説明会で「満席、お断り」の現実

「まじか~」と、そこまで応えていないふりをしようとも、これはふつうに痺れます。

かつて、「ふぞろいの林檎たち」という、山田太一脚本の名ドラマがあったのをご存知でしょうか。1980年代~90年代の「学歴社会」のヒエラルキーをリアルに描写したものだと称されたのですが、そこでの就活の一場面は、当時の「学歴社会あるある」とされていました。

もちろんアナログ就活時代ですから、予約受付を裏でコントロールはできません。だからこんな場面が出てきます――。「今から申し上げる大学の方は別室に移動してください。東京大学、一橋大学、慶応経済、早稲田政経……」と企業の人事風の人がアナウンスするのです。これは現代の感覚からして、エグい。主人公たちはいわゆる「Fラン」大学の若者なのですが、時任三郎演じる岩田が、たじろぐ友人・西寺(柳沢慎吾)にこう諭すのも印象的でした。「胸張ってりゃいい」と。

何事もなければ、わざわざ「胸を張る」必要すらないわけで、裏を返せば、胸を張っていないと身体が縮こまってしまうような事態が、就活という学校から労働へのイニシエーションと言えます。虚勢を張らないと切り抜けられないほどの虚しさ、悲壮感が漂っていたことは推察にたやすいわけです。