そもそも教養とはなにか?
柔軟な思考を生むリベラルアーツ
そもそも、教養とはどんな概念なのか。教養を意味する言葉から、その本質を探ってみる。
古代ギリシャの「リベラルアーツ」はその概念の一つとなる。リベラルアーツというと、大学の一般教養をイメージしがちだが、古代ギリシャでは「自由な人格となるための手段」ととらえられていた。「奴隷制度のあった古代ギリシャでは、さまざまな学問や技術、芸術がリベラル、つまり自由な市民にとって必要なものだと考えられていたのです」
自由で独立した人間とは、固定観念や思い込みに縛られない「自由な思考」を持っているということだ。リベラルアーツを現代の教養にあてはめると、新たな知識や情報をため込むのではなく、それらを活用して自分を解放し、柔軟な視点で物事を考えるということになる。
ほかに、教養を表す言葉には、近代ドイツで生まれた「ビルドゥング」がある。産業社会の発展により、研究分野が細分化していく中で、その分野しかわからないという専門家が増えた。
「これに危機感を持った近代ドイツの大学では、多様な知識が集結しないと解決できない複雑な問題に対応するため、ビルドゥングという概念を用いました。専門知識をつなぎ合わせ俯瞰して考えることが必要です」
個人の知識や意見に固執していては、物事の本質が見えない。木ではなく森で把握することが問題の解決につながることは、経験として実感している人も多いだろう。
藤垣さんが教える東京大学の教養学部では、リベラルアーツの理念にもとづいた教養教育に力を入れている。重視するのは、「自分の頭で考えて、アウトプットすること」。2015年度からは、「総合的教育改革」の一環として、情報や知識を活用する力を伸ばすために、大教室で講義を聞くのではなく、少人数のクラスで学生が主体的に参加する「アクティブ・ラーニング」の授業を増やしてきた。違う学部の学生同士がひとつのテーマについて議論する授業もある。
正解のない問いを自分の頭で考える
「ペーパーテストの空欄を埋める作業ではなく、“正解のない問い”にどれだけ向き合い、他者と議論し、自分なりの答えを見つけようとするか。その力が教養となっていきます」
日本の教育は知識偏重型で、ひとつの正解を追い求める癖が染み付いている人が多いと言わざるを得ない。まずはその癖を自覚し、自由な発想で問題を解決する方法を意識的に探してみるといい。
「答えはひとつではないし、正しい答えがあるとも限りません。柔軟に物事を考えることが、現代に生きる私たちの教養であり、ビジネスで新しいアイデアを生み出したり、問題を解決する大きな力となります」