出産後、営業代理店に飛び込むも……

小さい頃からマイペースでのんびり屋だった流郷さんは、他人とつるむことも大嫌いだった。

高校を出たら留学しようと思っていた矢先、大好きだった祖母が逝去。留学の予定は取りやめ、19歳の頃から、地元関西でアロマセラピストの勉強を始め、アロマの販売も始めた。次第に、妊婦の持つ神秘性に惹かれたことや、妊婦の相談相手になりたいと考え、当時は珍しかったマタニティ向けアロマセラピーを専門にしていった。

21歳と23歳の時に出産。子どもたちを育てていくためにしっかり働かなければと、出産後すぐに就職活動を始めた。未経験OKで営業職を募集していた営業代理店の面接で、「業務用のアロマディフューザーを売ってみてはどうか」と提案し、入社していきなり新規事業を始めることになった。

営業が向いていないことを悟る

しかし、採用してもらったものの、まったく売れ行きが伸びず、入社1カ月で「自分は営業には向いていない」と確信することに。そこで、さっそく方向転換を試みる。

自分にできそうなことはないかと、社内では誰もやっていなかったPRや広報業務に目を向ける。広報の勉強会や、プレス向きのネタを集めて、新聞社やテレビ局への持ち込みをしたところ、日経新聞の地方版に掲載された。「新聞を持って社長のところに『載りましたよ!』と駆け込みましたね」と流郷さんはその時の喜びを振り返る。

業務用ディフューザーの事業担当者に新しい人が配属されたのを機に退職した後、スタートアップに転職した。そのスタートアップが東京移転をする際に、関西に残りたかった流郷さんに対して、2社から「うちで広報をやってみないか」と声をかけられた。

「断るのが苦手なので、2社とも業務委託でやってみようと決めました」と、なりゆきでフリーランスの広報として活動することになった流郷さん。当時は珍しい働き方だった「フリーランス広報」に自分がなったのだと気づいたのは、だいぶ後だったそう。

仕事は順調に拡大し、「今よりもずっと稼げていました」と苦笑する。