死を考えるほど追いつめられる

そんな居場所のない、生きた心地のしない生活が30年以上も続いたのだ。ある日、吉田さんは「このままでは自分がダメになる」と思った。

「親に虐げられ、親の言うままに搾取れるだけの人生はもうご免だ」

着のみ着のままで逃げるように家を飛び出した彼は、自分を知る人のいない街へ、仕事の見つかりそうな街へとの思いで、必死に東京まで出てきた。でも、中卒で身寄りもない彼が簡単に仕事を見つけられるはずもない。路上生活をすることも考えたが、身なりが不潔ではますます仕事がなくなってしまう。彼は日銭を稼いではシャワーを求めてネットカフェを転々とする生活を選んだ。

体を使って仕事をすることは苦痛ではなかった。ただ、お金を貯めて部屋を借りようにも、日々の生活費を払うと手元に残るのはほんのわずかな小銭だけ。何カ月経ってもネットカフェから抜け出せる見込みは立たなかった。

もうこれ以上は頑張れないと思った彼は、自ら命を絶つことも考えたという。でも、最後の最後で思い留まった。

虐待のトラウマ

ホームレス支援団体に相談に訪れた彼は、そこで私が行っている就農支援プログラムの存在を知る。「これなら自分にもできるかもしれない」と思った彼は、一も二もなく参加を申し込み、畑にやってきた。

吉田さんは自分の気持ちや考えを表現するのがとても苦手だった。表情はほとんどなく、口数も極端に少ない。自分から人に話しかけることは、よほど必要に迫られない限りしない。そして、虐待を受け続けたトラウマが見受けられた。

ある日、メンバーの1人が日頃の人間関係のことを思い出して怒り出した。人間関係や世の中の理不尽さへの怒りを大声で訴えはじめた。

彼のように何かイライラすることがあると、ストレスを吐き出す人は、世の中には少なくないので、私は私なりの対処法を心得ていた。こういうときは、あえて反論したりせず、彼が全部を言い切るまで待つのがいい。怒りやイライラのエネルギーを出し切ってしまえば、すっきりして、その後はたいてい冷静になる。

ところが、運悪く、私が彼に怒鳴られている近くに、吉田さんが居合わせてしまった。耳を塞いで走り去ってしまえばいいのだが、彼の場合はそれができない。おそらく、一方的に怒鳴られている私を見て、親から怒鳴られたときのことがフラッシュバックしたのだと思う。

吉田さんは人形のように固まってしまった。本当に人形のように瞬きすらせず、息もできているのかどうか心配になるくらい凍りついてしまったのだ。

初めてのことで私もどうしてあげればいいのかわからなかった。声をかけても反応はなく、ただ見守ることしかできない。結局、時間が彼を解き放つのを待つことしかできなかった。