※本稿は小島希世子『農で輝く!ホームレスや引きこもりが人生を取り戻す奇跡の農園』(河出書房新社)を再編集したものです
元ネットカフェ難民だった吉田さん(仮名)の実話
ホームレスの置かれている現状や、彼らの抱えている問題について、理屈は理解できても、現実の彼らの苦悩やもどかしさは理解しづらいと思う。そこで、実際のエピソードを紹介したい。
以前、うちの農園に研修にきていたある男性の話だ。彼のエピソードを通して、ホームレスになる人はホームレスになりやすい背景があること、また、ホームレス特有の心の問題を抱えていることがわかってもらえるのではと思う。
吉田さんは親から虐待を受けて育った30代の男性だ。子どもの頃から親に心ない言葉を浴びせられ、しつけという名の体罰を受け続けた。いつもオドオドとしている彼は学校でもいじめに遭った。
中学を卒業してからは新聞配達の仕事を得たが、給料はもらったその日に親に渡し、吉田さん本人が自由に使える小遣いは月に500円玉1枚だけ。それすらもらえない月もあった。配達中にのどが渇いても、ジュースを買うお金がなかった。だけど、こわくて、もっと小遣いをくれというようなことは口が裂けても言えない。
死を考えるほど追いつめられる
そんな居場所のない、生きた心地のしない生活が30年以上も続いたのだ。ある日、吉田さんは「このままでは自分がダメになる」と思った。
「親に虐げられ、親の言うままに搾取れるだけの人生はもうご免だ」
着のみ着のままで逃げるように家を飛び出した彼は、自分を知る人のいない街へ、仕事の見つかりそうな街へとの思いで、必死に東京まで出てきた。でも、中卒で身寄りもない彼が簡単に仕事を見つけられるはずもない。路上生活をすることも考えたが、身なりが不潔ではますます仕事がなくなってしまう。彼は日銭を稼いではシャワーを求めてネットカフェを転々とする生活を選んだ。
体を使って仕事をすることは苦痛ではなかった。ただ、お金を貯めて部屋を借りようにも、日々の生活費を払うと手元に残るのはほんのわずかな小銭だけ。何カ月経ってもネットカフェから抜け出せる見込みは立たなかった。
もうこれ以上は頑張れないと思った彼は、自ら命を絶つことも考えたという。でも、最後の最後で思い留まった。
虐待のトラウマ
ホームレス支援団体に相談に訪れた彼は、そこで私が行っている就農支援プログラムの存在を知る。「これなら自分にもできるかもしれない」と思った彼は、一も二もなく参加を申し込み、畑にやってきた。
吉田さんは自分の気持ちや考えを表現するのがとても苦手だった。表情はほとんどなく、口数も極端に少ない。自分から人に話しかけることは、よほど必要に迫られない限りしない。そして、虐待を受け続けたトラウマが見受けられた。
ある日、メンバーの1人が日頃の人間関係のことを思い出して怒り出した。人間関係や世の中の理不尽さへの怒りを大声で訴えはじめた。
彼のように何かイライラすることがあると、ストレスを吐き出す人は、世の中には少なくないので、私は私なりの対処法を心得ていた。こういうときは、あえて反論したりせず、彼が全部を言い切るまで待つのがいい。怒りやイライラのエネルギーを出し切ってしまえば、すっきりして、その後はたいてい冷静になる。
ところが、運悪く、私が彼に怒鳴られている近くに、吉田さんが居合わせてしまった。耳を塞いで走り去ってしまえばいいのだが、彼の場合はそれができない。おそらく、一方的に怒鳴られている私を見て、親から怒鳴られたときのことがフラッシュバックしたのだと思う。
吉田さんは人形のように固まってしまった。本当に人形のように瞬きすらせず、息もできているのかどうか心配になるくらい凍りついてしまったのだ。
初めてのことで私もどうしてあげればいいのかわからなかった。声をかけても反応はなく、ただ見守ることしかできない。結局、時間が彼を解き放つのを待つことしかできなかった。
真面目で手抜きしない働きぶり
それほど深い心の傷を負っていても、彼は根が真面目で、目の前の仕事から逃げるようなことはしなかった。性格的に根気のいる作業にとても向いていた。マイペースではあるものの、遅刻もなくサボりや手抜きもない。チームでの作業は苦手だが、自分から輪を外れることはしないし、基本的に畑仕事は1人でもできることが多いので、さほど問題にならなかった。
そんな彼を見込んだ私は、近くの農家さんに彼を紹介した。「とてもいい働き手だから、アルバイトでもインターンでもいいから一度仕事をさせてみていただけませんか?」と。気心の知れた農家さんだったので、「じゃあ、一度おいで」ということになり、吉田さん本人もその気になった。
約束の日、吉田さんが時間通りに農家さんの畑に行ったことを確認して私は安心した。緊張はしていたようだが、それは慣れれば大丈夫だと思った。だが、しばらくして、まだ作業中のはずの彼が私の元に戻ってきたのだ。
農家でのトラブル
「仕事はどうしたの?」
理由を聞くと、彼はポツリポツリと重い口を開いて何があったか話してくれた。どうやら農家さんに指示された作業を手間取ったか、間違ったかしたらしい。そこで、農家さんから「もうお前はいい」と言われたようだ。それを「自分はもうここには要らない。この世に存在しなくていい」という意味に理解した彼は、職場を放棄して逃げて帰ってきたのだった。
農家さんの肩を持つわけではないが、仕事というのはある程度のクオリティーやスピード、効率のよさが求められる。それができないと雇うほうも困ってしまう。ミスや不手際を挽回できなかった彼がダメ出しされたのはある意味で仕方のないことだ。
しかし、その一方で、農家さんの言葉がきつすぎた面もある。農家さんとしては悪気はなく、思ったことをパンッとストレートに口に出してしまっただけなのであろう。
しかし、親から「要らない子」と言われ殴られ続けた彼が、「もうお前はいい」という否定の言葉を受けてどれほどショックだったか。
ただ、おそらく農家さんの「もうお前はいい」という言葉は、「こっちはいいから、ちょっとあっちに行っていろ」の意味だったのだと思う。決して彼の存在そのものを全否定したつもりはなかったはずだ。
この世に必要のない命なんてない
ホームレスにしても引きこもりや生活保護受給者にしても、心がとてもナイーブな人が多い。こっちは間違った行動に対して「そうじゃないよ」と指摘したつもりが、彼らは「お前はダメだ」と人格を否定されたように感じてしまうことが多々ある。だから、彼らに注意をするときは、「それはダメ」という否定ではなく、「そうやるより、こうやったほうがいいよ」というアドバイスをするようにしている。そして、行動の注意はしても、本人の性格や考え方は絶対に責めないことも大事だ。
そういう彼らの心のクセを知っていた私は、彼に伝わるよう言葉を選びながら言った。
「農家さんが“もういい”と言ったのは、“この作業から外れてもいい”という意味だと思うよ。“この世に必要ない”なんて言ってはいない。もし農家さんが本当に“お前なんか、この世にいるな”という意味で言ったのだったら、それは絶対に間違いだから、私が農家さんに吉田さんに謝るように言いに行ってあげる。もし仮に世界中の70億人が“お前なんか要らない”と言ったとしても、あなたは“僕は僕が必要だと言えばいいんだよ。そうすれば、最低でもあなたを必要としている人が1人はいる。自分で自分を要らないなんて言わないで。誰もが意味があって生まれたのだから、この世に必要ない命なんてないんだよ」
彼は大声で泣きじゃくった。「初めてそんなふうに言ってくれる人に出会った。少しだけ自分のことを大事に思える気がする」と。
吉田さんの夢
彼のその言葉を聞いて、私は自分の言葉が彼の心に届いたと感じた。「彼の心が少しでも楽になってよかった」と。ただ、その安堵の反面で、「私は心に傷を持った人たちを相手にしているんだな」と改めて実感し、「私も本気で彼らにぶつからなければ」と今一度、腹をくくり直した。
結局、彼が再び同じ農家さんのところに行くことはなかったが、その日以来、少し彼の雰囲気が変わった。表情が柔らかくなり、心の内を話してくれるようになった。彼には夢があるそうだ。
「いつか好きな人とごはんを食べて、笑い合いたい」
私が「今の吉田さんなら叶うよ。プロ野球選手になりたいって言うなら叶わないから止めるけど」と言うと、「そうだったらいいな」と笑った。その笑顔を見て、私は本当に彼の夢がいつか叶うといいと思った。
吉田さんはその後、支援団体の協力で別の就職が決まった。今は、ある企業の清掃員として毎日頑張って働いている。
畑作業で自信を取り戻す人たち
うちの農園に通ってくる人たちは、最初は吉田さんのように人生に行き詰まり、生きる希望を失いかけている人が多い。でも、農作業を通じて自然と触れ合ったり、人と関わったりしているうちに、少しずつ本来の自分らしさや自信を取り戻していく。
畑作業を通して考え方や性格などの内面が変わっていくという経験は、一般の体験農園参加者の中にもたくさん見受けられる。
たとえば、反抗期真っ盛りで手のつけられなかった中学生の男の子が、農園にくるようになってから落ち着きを見せるようになり、物に当たることがなくなった。トマトが大の苦手だった子どもが、畑で収穫したトマトのおいしさに感動し、それ以来、大のトマト好きになった。ストレスを抱えて気持ちが塞ぎがちだった人が、毎週日曜に畑に行くと決めて体を動かすようになった途端、気分も体調もよくなった。畑で土に触れたり、虫を見つけたりすることで、子どもの頃を思い出し、心が癒された。家族で畑にきて作業することで会話が増え、家族の関係がよくなった――。
そんな嬉しい変化があちこちで起きている。