3人の乳幼児を抱え、夫が仕事を辞めて来日

私が最初に日本に来たのは20年ほど前。外交官として初めて赴任した国でした。1997年1月に第1子を出産し、3月には乳飲み子を抱えて来日。しかもその次の週末には京都での会議を控えていて、それはもう「タイヘン」でした。その2年後には双子の男の子を出産し、3歳以下の子どもを3人抱えての日本での生活はめまぐるしかった。それでも、滞在中は家族や同僚、シッターなど多方面から手助けを得ることができたのは幸運でした。

特に夫は、私の日本行きが決まったとき、仕事を辞めて一緒に日本に来る決断をしてくれたのです。「もしこれがあなたにとって良策でないなら、私がアメリカに残ってほかの仕事を探してもいい」と話すと、夫は「人生は1度しかないから、行ってみよう! ダメならやり直せばいい」と背中を押してくれました。彼は日本で仕事を再開したのですが、子どものお迎えなどで早く帰ると、同僚から嫌みを言われたこともあったそうです。それでも夫は強く乗り越えてくれました。

休みになると私が長男、夫が双子を背負って、日本の美しい山々にハイキングに出かけました。それから20年経ち街並みは多少変わりましたが、私が大好きな日本の自然や文化、美しさはそのままです。

年代を超えて夢を語る、日本の女性のパワー

一方で、働く女性の環境は、大きく変わってきましたね。20年前は少しずつムーブメントが起きてきたのを感じていましたが、今は幅広い年代の女性たちが活動的になっているのを感じます。日本の女性たちが新しい挑戦に積極的に向かっているのを感じてワクワクします。そして、男性たちが女性活躍についてよく語るのを聞きます。政治でも家庭でも何かを変えるには、男女両方の力が必要です。

仕事と子育てのバランスを取るのは誰にとっても簡単ではありません。私もアメリカにいるときは、子育ても家事も仕事も自分でやり、手いっぱいな毎日。深夜1時、2時まで仕事をし、翌朝6時に出社した日もあった。だから自分がいいロールモデルだとは思っていません。

でも、子どもの頃からボランティア活動に参加し、学生時代も男女の権利平等などの運動に参与してきた経験からも、「自分の意見は、きちんと人に伝えていかなければいけない」という思いがありました。