「想い出づくり。」の大ヒットが示した女性たちの叫び

恋と結婚は別物。恋は結婚して時折思い返すことの出来る甘酸っぱい想い出、結婚は生活そのものと割り切らざるを得なかったのでしょう。

また、結婚したら行きたい所に自由に行けないから、特に外国には一人の時に旅しておきたい。彼女達はOLと呼ばれ、みな一応仕事をしていましたが、キャリアアップとはほど遠く、結婚までの腰かけだったと思います。仕事でキャリアを積んでいきたいと考える女性達は、生きづらい思いをせざるを得ませんでした。(中略)

そんな中、24歳が近づくと女性達はみな老け込んで見えました。一番輝いている時代のはずなのに、彼女達は疲れていました。それはなぜか?

周り、すなわち親や先輩達から、「彼氏はいるの?」「まだ結婚しないの?」といわれ、その重圧に苦しんでいたのです。

「想い出を作りたい」──彼女達の心死の願いでした。さすが山田太一さん、それらの言葉をとらえて脚本を書いたドラマ「想い出づくり。」は大ヒットし、時代を象徴したものとして山田さんの名作の一つに数えられています。

ゆれる24歳』も版を重ね、講談社から文庫になりました。

続編として『二十四歳の心もよう』が出版され、その後、日本では相変わらず24歳結婚適齢期などとくだらぬ神話にしばられているけれど、はたして外国ではどうなのか、生き馬の目を抜くほど忙しいニューヨークで働く日本人女性達に話を聞いてみたいと思いました。

ニューヨークへ逃げた女性たちが語った「日本の生きづらさ」

民放のニューヨーク支局の特派員に人選をお願いし、一人ひとりの仕事とプライベートを聞きました。ゆっくり話すために私が10日間ほど泊っていたパークアベニューにある高校時代の友人のアパートメントに来てもらいました。

そこで聞いた話は、日本の女性と対極をなすものでした。なにしろ仕事が厳しく実力主義で、特にウォール街に勤めている女性などは、勤務中は食事をする時間すらなく、口の中に食物を入れたまま電話でやりとりするという話はいまだに忘れられません。

一方でプライベートではボーイフレンドやパートナーを持ち、結婚するかどうかはともかく同棲していたり、週末は共に過ごしたりと、あまり結婚を意識している様子はありませんでした。

彼女たちに想い出づくりの話をしてみたら、笑い出したり、中には憐れみの表情を浮べる人もいました。

どうしてそんなに年齢を気にするのか、そんなことよりキャリアを積んで魅力的な女性になることをなぜ考えないのかと不思議そうでした。

しかし、よくよく聞いてみると、彼女達も日本にいてはキャリアを積むことも出来ず、転職や昇進の機会すらなく、結局は結婚にしばられて、他人の目を気にして日本で働く女性と同じことをしていたかもしれない。そこから思い切って逃げて正解だったというのです。でも実力がなければ何の保証もない。その意味でも、必死に働いて生きていたのでした。