男女雇用機会均等法が施行されたのは、1986年(昭和61年)。それから32年後の、昨年12月に発表された、世界経済フォーラムによる男女格差の度合いを示す「ジェンダー・ギャップ指数2018」で、日本はなんと149か国中110位だった。しかも国会議員や、管理職の女性の数はG7の中で最下位。これらの事実から、日本は「歩みが遅いにも程があります」と、『年齢は捨てなさい』の著者・下重 暁子さんは語る。

※本稿は著者・下重暁子『年齢は捨てなさい』(幻冬舎新書)の一部を再編集したものです。

※写真はイメージです(写真=iStock.com/liza5450)

28歳以上は年齢をぼかす日本人の謎

「アラフォー」だの「アラサー」だのという言葉がはやり出したのは、いつ頃からでしょうか。確か2008年の流行語大賞に「アラフォー」が選ばれていました。そのもとになった、天海祐希さん主演のTBSドラマ「Around40~注文の多いオンナたち」は、アラフォーである主人公の精神科医をはじめ、同じ年頃の女性達の苦悩や葛藤を描いた内容でした。(中略)

年齢をはっきりといわずに漠然と伝える表現は、2005年に生まれた女性誌「IEe」を作った主婦の友社が使い始めたのがきっかけだといいますから、そこには、はっきりと年齢をいいたくない女性の願望が込められているのでしょう。

正式にいうとaround the age of 30、ほんとうに英語でそういうのかどうかは知りませんが、確かにはっきりと年齢をいってしまうよりは使いやすく、何でも言葉を短縮してしまう日本人にぴったりであることは間違いありません。

そこまでして、ぼかしたいと思わせる年齢とは、いったい何なのでしょう。

20代であることをぼかす表現はないので、堂々と人前でいえる年齢は20代まで、ということも暗示しています。20代なんて、まだまだ子供。しかも28歳以上はアラサーに入りますから、厳密には27歳くらいまで。その年齢までしか堂々といえない日本人はどうかしていると思いませんか?

結婚適齢期という神話が生んだ「想い出づくり。」

ゆれる24歳』『二十四歳の心もよう』『ゆれる24歳プラス5 in N.Y.』──いずれも私が40代から60代の頃に出した本です。『ゆれる24歳』はサイマル出版会から出したもので、ベストセラーになりました。今のように宣伝も広告も派手ではなかったけれど。

当時は24歳が結婚適齢期と信じられていて、22~23歳になると、若い女性達はみなそわそわ落ち着かない様子でした。

その頃、山田太一さんが「想い出づくり。」(TBS系列)というドラマの脚本を書いたのですが、その原案が私の『ゆれる24歳』でした。

私が24歳前後の女性にインタビューをし、ただ話を聞くだけでなく、一緒に食事をしたりお酒を飲んだりと、とことん生活と意見を聞き出そうとして作った本です。

率直に語られる話の中で、私には異様に思えることがありました。

「想い出を作りたい」、彼女達は一様にそういいました。

結婚したら、自由に生きることは出来ない。相手の男性に合わせて出産・育児をしなければならないから、その前に好きなことをしておかなければならない。何をするかというと、恋と旅が主なものでした。

「想い出づくり。」の大ヒットが示した女性たちの叫び

恋と結婚は別物。恋は結婚して時折思い返すことの出来る甘酸っぱい想い出、結婚は生活そのものと割り切らざるを得なかったのでしょう。

また、結婚したら行きたい所に自由に行けないから、特に外国には一人の時に旅しておきたい。彼女達はOLと呼ばれ、みな一応仕事をしていましたが、キャリアアップとはほど遠く、結婚までの腰かけだったと思います。仕事でキャリアを積んでいきたいと考える女性達は、生きづらい思いをせざるを得ませんでした。(中略)

そんな中、24歳が近づくと女性達はみな老け込んで見えました。一番輝いている時代のはずなのに、彼女達は疲れていました。それはなぜか?

周り、すなわち親や先輩達から、「彼氏はいるの?」「まだ結婚しないの?」といわれ、その重圧に苦しんでいたのです。

「想い出を作りたい」──彼女達の心死の願いでした。さすが山田太一さん、それらの言葉をとらえて脚本を書いたドラマ「想い出づくり。」は大ヒットし、時代を象徴したものとして山田さんの名作の一つに数えられています。

ゆれる24歳』も版を重ね、講談社から文庫になりました。

続編として『二十四歳の心もよう』が出版され、その後、日本では相変わらず24歳結婚適齢期などとくだらぬ神話にしばられているけれど、はたして外国ではどうなのか、生き馬の目を抜くほど忙しいニューヨークで働く日本人女性達に話を聞いてみたいと思いました。

ニューヨークへ逃げた女性たちが語った「日本の生きづらさ」

民放のニューヨーク支局の特派員に人選をお願いし、一人ひとりの仕事とプライベートを聞きました。ゆっくり話すために私が10日間ほど泊っていたパークアベニューにある高校時代の友人のアパートメントに来てもらいました。

そこで聞いた話は、日本の女性と対極をなすものでした。なにしろ仕事が厳しく実力主義で、特にウォール街に勤めている女性などは、勤務中は食事をする時間すらなく、口の中に食物を入れたまま電話でやりとりするという話はいまだに忘れられません。

一方でプライベートではボーイフレンドやパートナーを持ち、結婚するかどうかはともかく同棲していたり、週末は共に過ごしたりと、あまり結婚を意識している様子はありませんでした。

彼女たちに想い出づくりの話をしてみたら、笑い出したり、中には憐れみの表情を浮べる人もいました。

どうしてそんなに年齢を気にするのか、そんなことよりキャリアを積んで魅力的な女性になることをなぜ考えないのかと不思議そうでした。

しかし、よくよく聞いてみると、彼女達も日本にいてはキャリアを積むことも出来ず、転職や昇進の機会すらなく、結局は結婚にしばられて、他人の目を気にして日本で働く女性と同じことをしていたかもしれない。そこから思い切って逃げて正解だったというのです。でも実力がなければ何の保証もない。その意味でも、必死に働いて生きていたのでした。

年齢を押しつけることは、人をしばること

あまりに年齢にしばられている日本の女性達が気の毒で仕方ありませんでした。そこで年齢にしばられず、自分の人生を生きてほしいという願いを込めて、一冊の本を出そうとしました。

下重暁子『年齢は捨てなさい』(幻冬舎)

題して「くたばれ! 結婚適齢期」。直接的でわかりやすいタイトルだと思っていたら、出版直前になってクレームがつきました。出版社の社長が「下品だ」というのです。私には納得がいきません。年齢にしばられた当時の女性達にとって、直に響く言葉だったと思っていたからです。

編集者と話し合って、結局、違うタイトルにしましたが、ぼやっとしたタイトルに落ち着いたため、本は売れませんでした。「くたばれ! 結婚適齢期」の方が、どんなに強く、衝撃的だったことか。(中略)

「くたばれ! 結婚適齢期」のかわりにつけられたタイトルにはサブタイトルがついており、「自発的適齢期のすすめ」とあります。

そして、帯には「適齢期とはあなた自身のもの、適齢期を自分で選ぶことは自分の人生を自分の手で選ぶことである。人生は、自分が何を選ぶかによって決まる、選択の連続なのだ、その大切な選択をどうして他人に任せておけよう、他人にわずらわされず、自分の意見で選択するためには、様々な既成概念やある種の常識から自由にならなければならない」と書いています。

今私が考えていること、いっていることとほとんど変わらない。昔から私の考え方はブレてはいないのです。(中略)

私が結婚したのは36歳の時でした。だから結果として36歳が私の結婚適齢期。一人ひとり違っていいのです。年齢を押しつけることは、人をしばることなのです。