10年後のキャリアが見えず、不安に

平田さんは12年間変わらずお茶の開発に携わった。入社当初は「十六茶」も順調だったが、他社のブランドが強くなって苦戦を強いられ、緑茶、紅茶、ウーロン茶と試行錯誤が続く。会社の業績も低迷するなか、自分の研究にも追われながら、いかにメンバーをまとめるかと頭を悩ませた。

それでも「わりと我慢強いんです」と穏やかに笑う平田さん。まずは自分の中でじっくり考え、あまり人に言わずに解決しようと思うタイプ。その頃、自身のキャリアについても悩んでいたという。社内では結婚・出産を機に辞める女性社員が多く、管理職としてのキャリアを進む先輩もいなかった。研究所ではプロパー第一期生。10年後は何をやっているのかと先が見えない不安もあった。

「ずっと研究職しか経験がなかったので、研究所で上に行くことしか思い浮かばない。本当にそれでいいのか、ならば何ができるんだろうと考えたとき、とりあえず他のカテゴリーのチームもいいかなと思い始めました。やっぱり12年もいると仕事はひと通りできるから楽ではあっても、このままでは自分が成長できないと思っていたんです」

マーケティング部門からの無茶ぶり

2年ほど考え抜いた末、他のグループ会社の公募に申し込んだ。すると上司に呼び出されて、「何を考えているのか教えてほしい」と聞かれ、平田さんは「自分でも成長が止まっている感じがするので、他のことをやってみたいです!」と。

それから半年後、2010年1月に炭酸チームへ異動。当時、アサヒ飲料では「三ツ矢サイダー」の伸びが好調で、その主力ブランドを扱うチームのリーダーに抜擢されたのだ。マネジャーとしてメンバーを管理する立場になり、さらなる課題に直面した。

「商品開発の仕事は泥臭いというか、トライアル&エラーの繰り返しなので、うまくいかないことが重なると精神的にも疲弊します。そんなときにどうアドバイスしてあげるかというのが難しかったですね。何でうまくいかなかったのかを考えさせ、同じ失敗を繰り返さないようにするにはどうしたらいいかを自分で気づいてもらうよう促していました」

商品を企画するのはマーケティング部門だが、開発担当者のところには、イメージ先行で無理難題な注文も来る。言われるままやっている人には、「あなたの意思は入っているの?」「本当に自分で飲みたいと思う?」と突っ込んだりもした。

「せっかくモノづくりに携われる仕事なので、自分がこうしたいと思えるものをつくってほしかったので」と平田さん。

経営企画部への異動を実現

2016年4月には商品開発のグループリーダーに。炭酸、果汁、機能性スポーツドリンクなど飲料全体を統括することになる。その頃には子育てしながら仕事を続ける女性たちも増え、働き方は多様になっていた。もともと研究職は女性が多く、ライフスタイルや流行への感度も高い。それだけに育休や時短を使う人をフォローし、復帰後のキャリアも考えながらサポートする体制づくりを心がけた。

そして平田さん自身もまたさらなるチャレンジに乗り出した。自ら希望して異動したのが、本社の経営企画部だった。

「研究所以外でキャリアを活かせるところはないか、その後のキャリアを描くうえでもっと成長できる部門は何かと考えました。経営企画では、各部門がどういう働きをすれば会社が良くなるのかを見据えられる。研究所時代にはマーケティング部門が持ってくる企画が本当に会社のためになるのかと疑問に思う部分もありました。同じところにいたのでは他部署の人との接点も限られてしまうので、そういう意味でも本社部門を経験したいと思ったのです」