新入社員の頃の挫折経験
就職氷河期の真っ只中、理系でも学卒採用は冷え込んでいた。食品化学を専攻した平田倫子さんは食品メーカーを志すが内定は得られず、やむなく大学院を目指す。それでも悶々とするなか、アサヒ飲料が製造・販売を一社化したことで新卒採用の募集があった。平田さんは第一期生として97年に入社。飲料研究所でお茶の商品開発に携わることになった。
当時、アサヒ飲料では「十六茶」が大ヒット。いわば“花形”の部署へ配属されたものの、「実はあの頃がいちばんつらかった」と洩らす。
新入社員には若手の先輩がついて指導を受けるが、「十六茶」を担当していたその人は仕事の厳しさで定評ある男性だった。
「かなりガンガンやるタイプの方なので、下の人はへこたれて抜けていくという感じで(笑)。つらかったのは、こういう結果を出したいから、この試験をするというような目的を伝えられないまま、『これ、やって』と仕事を全部投げられることでした。必死で研究してリポートを出すと、『何でこんなことやったんだ』と怒られる。それがストレスで、上の方に直訴したこともありますが、やっぱり中抜けするとすぐばれるので、また怒られて……」
チームリーダーとしての試練
その先輩のもとで鍛えられたのは1年半。さすがに辞めたいと挫けそうになったこともあるが、自分なりの信条があったという。
「3年間は絶対あきらめない、と覚悟していました。3年経てばそれなりに仕事も1人でできるようになるし、そのときに全然面白くないと思ったら、ちょっと考えようかなと」
経験を重ねるほど仕事は面白くなり、若い社員が多かったので周りの支えも大きかった。だが、2000年頃から会社の収益は下向きになり、自転車操業のごとく次の開発に追われていく。入社6年目でチームリーダーを任された平田さんは、部下を率いる難しさを痛感した。
「研究所へ入ってくる人は院卒が多く、学卒の私と年齢はほぼ変わらない。チームリーダーといっても特に権限がなかったので、同世代の人に伝えてもなかなか聞いてもらえなくて。思えばあれが2度目の挫折でしたね」
10年後のキャリアが見えず、不安に
平田さんは12年間変わらずお茶の開発に携わった。入社当初は「十六茶」も順調だったが、他社のブランドが強くなって苦戦を強いられ、緑茶、紅茶、ウーロン茶と試行錯誤が続く。会社の業績も低迷するなか、自分の研究にも追われながら、いかにメンバーをまとめるかと頭を悩ませた。
それでも「わりと我慢強いんです」と穏やかに笑う平田さん。まずは自分の中でじっくり考え、あまり人に言わずに解決しようと思うタイプ。その頃、自身のキャリアについても悩んでいたという。社内では結婚・出産を機に辞める女性社員が多く、管理職としてのキャリアを進む先輩もいなかった。研究所ではプロパー第一期生。10年後は何をやっているのかと先が見えない不安もあった。
「ずっと研究職しか経験がなかったので、研究所で上に行くことしか思い浮かばない。本当にそれでいいのか、ならば何ができるんだろうと考えたとき、とりあえず他のカテゴリーのチームもいいかなと思い始めました。やっぱり12年もいると仕事はひと通りできるから楽ではあっても、このままでは自分が成長できないと思っていたんです」
マーケティング部門からの無茶ぶり
2年ほど考え抜いた末、他のグループ会社の公募に申し込んだ。すると上司に呼び出されて、「何を考えているのか教えてほしい」と聞かれ、平田さんは「自分でも成長が止まっている感じがするので、他のことをやってみたいです!」と。
それから半年後、2010年1月に炭酸チームへ異動。当時、アサヒ飲料では「三ツ矢サイダー」の伸びが好調で、その主力ブランドを扱うチームのリーダーに抜擢されたのだ。マネジャーとしてメンバーを管理する立場になり、さらなる課題に直面した。
「商品開発の仕事は泥臭いというか、トライアル&エラーの繰り返しなので、うまくいかないことが重なると精神的にも疲弊します。そんなときにどうアドバイスしてあげるかというのが難しかったですね。何でうまくいかなかったのかを考えさせ、同じ失敗を繰り返さないようにするにはどうしたらいいかを自分で気づいてもらうよう促していました」
商品を企画するのはマーケティング部門だが、開発担当者のところには、イメージ先行で無理難題な注文も来る。言われるままやっている人には、「あなたの意思は入っているの?」「本当に自分で飲みたいと思う?」と突っ込んだりもした。
「せっかくモノづくりに携われる仕事なので、自分がこうしたいと思えるものをつくってほしかったので」と平田さん。
経営企画部への異動を実現
2016年4月には商品開発のグループリーダーに。炭酸、果汁、機能性スポーツドリンクなど飲料全体を統括することになる。その頃には子育てしながら仕事を続ける女性たちも増え、働き方は多様になっていた。もともと研究職は女性が多く、ライフスタイルや流行への感度も高い。それだけに育休や時短を使う人をフォローし、復帰後のキャリアも考えながらサポートする体制づくりを心がけた。
そして平田さん自身もまたさらなるチャレンジに乗り出した。自ら希望して異動したのが、本社の経営企画部だった。
「研究所以外でキャリアを活かせるところはないか、その後のキャリアを描くうえでもっと成長できる部門は何かと考えました。経営企画では、各部門がどういう働きをすれば会社が良くなるのかを見据えられる。研究所時代にはマーケティング部門が持ってくる企画が本当に会社のためになるのかと疑問に思う部分もありました。同じところにいたのでは他部署の人との接点も限られてしまうので、そういう意味でも本社部門を経験したいと思ったのです」
100年以上続くブランドを守っていく
今、経営企画ではブランド管理の仕事に取り組んでいる。アサヒ飲料には、三ツ矢サイダー、ウィルキンソン、カルピスと、100年以上の歴史を誇る3つのブランドがある。そこで掲げたのが〈100年のワクワクと笑顔〉というメッセージ。お客さまに飲料を通して、健康や楽しさを伝えていくことを目指す。それは、平田さんの夢でもあった。
「もともと食品メーカーを志した理由は、人が生きていくために必要なものをつくりたかったから。私は食べ物の好き嫌いが多くて、そんな人間でも健康に生きられるような飲み物があるといいなと(笑)。だから、せっかくつくった商品がちゃんとお客さまに届き、長く愛してもらえたらいいと思うのです」
実は受け身な性格
そんな夢を抱いて入った商品開発の現場では、まさにトライアル&エラーの繰り返し。部下の失敗をフォローしたり、震災のときは原料調達に追われたりと、数々のピンチを切り抜けてきた。どんな困難も乗り越える力になったのが、実は入社当初のつらい経験だった、と平田さんは苦笑する。
「どんなことがあっても頑張れるのは、やっぱり最初の一年半を耐えられたことが大きいですね。先輩は厳しかったですが、当時の所長は私を信頼してくれて、入社一年目なのにリポートを提出して説明するとしっかり聞いて、労いの言葉もかけてくださった。それが嬉しかったし、ちゃんと仕事をしたら認められるという希望が後につながったような気がします」
平田さんの歩みを振り返ると、自分の力でキャリアを切り拓いてきたことがうかがわれる。モデルケースがない中での果敢な挑戦に見えるが、「いえ、実は受け身な性格で」と照れる。
「たぶん私は下の人にはあまり強く言えないんですけど、上の人には思っていることを強く言っちゃうタイプ。ひと晩、ふた晩じっくり考えて、自分が正しいと思ったらズバッと言ってしまうというか……」
続けて平田さんは、「怒りが力になるタイプなのかも」とポツリ。その「怒り」とは仕事に懸ける熱い情熱ゆえであり、やはり商品に注ぐ愛情なのだろうと思う。
アサヒ飲料 経営企画部 経営企画グループ 担当部長
1997年アサヒ飲料に技術系社員として入社。商品開発研究所にてお茶飲料開発チームリーダー、炭酸飲料開発チームリーダーを経験し、2016年商品開発第一グループリーダー。17年9月より現職。