「口コミを信頼して使ってもらうサイトですから、中途半端に広告を出すと、ひも付きのサービスのように見えてしまいます。自分たちなりに、ある程度力をつけるまで広告事業やエージェント活動はしないと決めていたんです」

(上)@cosmeメンバーさんを招待したイベント。(中)35歳、トライアスロンを始める。(下)東証上場

信頼を得るため、あえて営業活動を控えた。とはいえ、年商90万円では資本金を食いつぶすばかりだ。ほかに出資したいという話もあるにはあった。

「当時、ネットバブルで、私たちの汚い事務所にもベンチャーキャピタルが訪問してくれる時代でした。出資のお話はたくさんいただいたのですが、きちんと会社の形が整わないうちに多額の資金を受け入れるのはどうなのだろうと思っているうちにバブルがはじけてしまって……」

縁あって、ある人から出資を受け、「首の皮一枚」の危機を切り抜けた。創業1年にして早くも試練に直面し、心中はいかばかりだったか。でも、充実していたから「やめたい」と思ったことはなかったという。むしろ辛かったのは成長軌道に乗り始めてから。いろんな会社からの出資に恵まれ、社員も100人、200人と加速度的に増えていった。

「見よう見まね」で経営してきた会社が株式上場を目指して経営しなければいけないフェーズに入ると、各部門で専門的なスキルを持つ人材が必要になった。

「創業期にがむしゃらになって一緒に仕事をしてきたメンバーたちの居場所がなくなって、まとまって辞めていったり、旧メンバーと新メンバーの確執が生じたりして、悩むことが多くなりました」

創業時の熱さが過ぎ去っていく一抹の寂しさも感じた。

出産の大変さが、わかっていなかった

山田さんは会社員時代も創業以降も「仕事をするうえで女性も男性も関係がない」と思ってきた。ところが不妊治療を経て40歳で出産すると、その考えが変わった。

「会社にはママ社員がいたので福利厚生を検討しなくちゃいけないと取り組んではいましたが、リアリティーを持って受け止めていなかったんです。寄り添っているつもりでも、実情がわかっていなかったなって反省しました」