「ばけばけ」(NHK)のモデル、ラフカディオ・ハーンはギリシャに生まれ、アイルランド、英国を経て、アメリカで24歳のときマティという女性と結婚。作家の工藤美代子さんは「離婚したことでもわかるとおり、この結婚はマイナスの面が多かった」という――。

※本稿は、工藤美代子『小泉八雲 漂泊の作家ラフカディオ・ハーンの生涯』(毎日文庫)の一部を再編集したものです。

24歳で奴隷の娘と結婚するが…

あらゆる結婚がそうであるように、この結婚もハーンにブラスとマイナスの両方の結果をもたらしました。そして、プラスの面の方が多ければ、結婚生活は維持されるわけですが、残念ながらそういう結果にはなりませんでした。

ちょうどマティとの交際が始まり、結婚まで至る期間というのは、ハーンがジャーナリストとして、めきめき頭角を現す時期とぴったり一致します。「タン・ヤード事件」のレポートを初めとしたエネルギッシュな取材と執筆活動は若々しい力にあふれています。そこに私はマティの影響を見る思いがするのです。

彼女は、ハーンがジャーナリストとして最も興味を感じていた、社会の底辺に生きる人間の一人であったのと同時に、霊感を持って、超自然現象を身近に語る女性でした。だからブードウー教の信者たちから霊媒とみなされていたという文献もあります。いわば白人社会におけるロジックに背を向け、理性よりも感性で運ばれる時空問に身を置く彼女の存在が、ハーンをしてさらに奇怪な、あるいは残酷な事件を生き生きと綴らせる原動力となっていたとしても不思議ではありません。それは二人の結婚のプラス面だったのではないでしょうか。

アリシア・フォーリー(通称マティ)の若い頃
アリシア・フォーリー(通称マティ)の若い頃(『知られざるハーン絵入書簡-ワトキン、ビスランド、クールド宛1876-1903 桑原春三所蔵』より)

新聞記事の執筆に妻の影響が?

これは1875年9月26日付のシンシナティ・コマーシャル紙に載ったハーンの記事の一部です。

ある日の夕暮、わたしは用を言いつけられて、二階にある寝室のひとつに上がって行きました。そして、真白な服を着た、背の高い若い女の人が、黙って鏡の前に立っているのを見たのです。夕日が血のように赤く染まって沈んだあとのことで、かすかな薔薇色の輝きがまだ薄やみの中に漂っていましたから、物の輪郭などもはっきりしていて、よく見えました。家の人達は皆、階下で夕食をとっているはずです。それで、初め部屋に入った時わたしは、鏡の前の婦人は、どなたかわたしが到着を知らされていなかったお客様に違いない、と考えました。ちょっと立ち止まってその人を見ましたが、こちらに背を向けているので顔は見えません。並はずれて背が高く、黒い髪は鏡の上の暗い影とひとつになって見分けがつかないように思われます。そうだ、鏡をのぞいてみよう、と思いつきました。そこで鏡を見ますと、映っているのは、沈黙したままの白い長身の姿です。が、顔も頭も見えません。わたしがその白い人影にさわろうとして近寄ると、人影は、まるでろうそくの炎が消えるように、鏡に吹きかけた息が薄れて行くように、すっと消えてしまいました。
(河島弘美訳)

後年にハーンが書いた『怪談』をすでにしのばせるようなストーリーといえるでしょう。