JR四ツ谷駅から徒歩5分の場所に、行列の絶えないたい焼き屋「わかば」はある。たい焼きは、“めでたい”の“たい”をかたどった縁起のいい菓子。庶民的で気どりがないおやつなので、親しい相手への差し入れとして最適だ。甘党はもちろん、塩がきいた「わかば」のたい焼きなら、甘いものがあまり得意でない方にも喜んでもらえる。

昭和28年のある1日で、店の運命が変わった

四ツ谷の「わかば」は、麻布十番「浪花屋総本店」、日本橋「柳屋」と並んで、“東京たい焼き御三家”と世間で評される都内屈指の名店だ。店先で職人の焼き上げる鯛焼きが、忙しい日は1日3000“匹”売れるという。

「わかば」の3代目小澤市明さん。

3代目の小澤市明さんに人気の秘訣をたずねると、「尻尾まであんこを入れる、創業時からのやり方を貫いていること」だと柔和な笑顔で教えてくれた。「当店のはじまりは昭和26年。建具屋を営んでいた祖父母が、戦後に焼け出されたあと、食べていくためにこの場所で駄菓子屋を開きました。当時、駄菓子屋といえばたい焼きとセット。甘いもの好きだった祖父が、尻尾まであんこを詰めることにこだわり、つくっていたそうです」

物資が貧弱だった時代に、あんこたっぷりの甘いおやつは貴重であり、癒やしの味でもあっただろう。近隣の住民に愛されながら細々と商売を続けていたが、昭和28年のある日、異変が起きた。あんこを惜しまぬ先々代の心意気に感動した演劇評論家の故・安藤鶴夫が、この店のたい焼きを新聞のコラムで紹介すると、翌日から行列ができるようになったのだという。

「それをきっかけに、たい焼き専門店として再出発しました。安藤先生が遺してくれた、“たい焼きのしっぽにはいつもあんこがありますように。それが世の中を明るくしますように”という言葉を信念に、今も焼き続けています」と小澤さんは力を込めて話してくれた。

たい焼きにもある「養殖もの」「天然もの」

たい焼きの型は主に2種類ある。一つは、2枚の鉄板を合わせて数匹分をまとめて焼く量産タイプ。もう一つは、鯛の形をした鋳型で一匹ずつ焼き上げる、昔ながらの“一丁焼き”と呼ばれるもの。近年、愛好家たちは、前者を“養殖もの”、後者を“天然もの”と呼び分けているが、何ともわかりやすい俗称である。

わかばは、後者の一丁焼き。洋画家の故・木村荘八が描いた色紙絵からおこした特注の鋳型を使っている。片面の型に生地を注ぎ、あんこをのせて、その上へ生地をたらしてもう片面の型で挟み、両面を焼き上げる。見ていると特段、難しそうな点はない。しかし、社長の甥で店長をつとめる伊藤巧真さんはこう言う。

「わかば」の伊藤巧真店長。

「気候や仕込む職人によって、あんこも生地も状態が異なります。その日の材料に合わせて、ただでさえ個体差の生じやすい一丁焼きで、ムラなく焼き上げるのは難しい。尻尾の端まであんこを行き渡らせるのにも、技が要ります。奥が深いし、一筋縄ではいきません」

一匹に使う生地は40g、あんこは80g。体で覚えたその分量を瞬時にすくいとり、鋳型のクセや火加減も計算しながら焼くには、集中力が必要。一匹一匹、真剣勝負で焼き上げていくのだという。