企業には「商才」を備えた人材が欠かせない

企業が飛躍していくには、「顧客」を創造し、「市場を拡大」していくことが不可欠だ。経営者と社員それぞれが、顧客と市場を創造する力を備えていることが、飛躍する企業の必須条件だといえる。この適性を、日本では「商才」と呼んできた。

大辞林が「商才とは商売で成功するのに必要な才能」だと解説するように、企業が成長するには、商才を備えた人材が欠かせないことはいうまでもない。だが近年商才のある人材が減っているように見える。

その背景には、次のような成熟社会特有の問題が滞積していた。

1、給与所得者(サラリーマン)の世帯が大半を占めるようになり、事業を行っている親を持つ子供が減った。
2、景気後退によって就職事情が悪化して非正規雇用者が増大し、大企業でも倒産や吸収合併される事態が頻発したため、就職先は安定していることを最優先に考える若者が増えた。
3、学歴偏重の人事採用により、異才のある人材を登用しない日本企業が増えてしまった。
4、与えられた「作業」をこなすことが「仕事」だと思い込む人材が増えた。
5、企業が収益を上げる意味や目的を理解せずに働く人が増えた
6、自ら営業活動ができない人や管理者が増えた。

「頭がいい」=「商才がある」ではない

上場企業に働く社員はほぼ全員が、いい学校を出た、いわゆる頭のいい人材が揃っている。そうした頭のいい人材が多いにもかかわらず、その多くは凡庸な地位で一生を終わり、また多くの大企業で停滞や衰退が始まるのはなぜだろう。その原因を探ると、頭のいい人には特有の弱点がいくつか存在していることが浮上する。

1、偏差値の高い学校を出たことで、そうでない人を見下してしまう傾向がある。
2、思慮深いことが災いし、何かを始める前にその先のことまで考えて臆病になり、ためらい、行動に移せないことが増える。
3、人の力をはかる尺度が「実務遂行の能力」よりも「机上の頭のよさ」に重きを置いてしまう。
4、仕事だけの関係で人と付き合うため、取引先と協力会社のどちらからも慕われない。

ドラッカーが「頭のよさは成果の上限を規定するだけで、成果を出す能力とは関係がない」と指摘していたことを、ここで思い出す。