罵倒繰り返しで100万円弱、さらに高額の場合も……

個人的な相場観としては、「このアホ!」「カス!」など厳しい罵倒を繰り返していた場合として、100万円弱としている。加害行為によって被害者が精神的な疾患を発症した場合には、さらに高額になる。逆に被害者の態度にも問題があり、つい行き過ぎた発言になったという場合には、5万円から20万円といった金額で示談することが多い。

若い社員のパワハラ苦情は、本人からではなく親からなされることも少なくない。親としては、自分の子供のことだからということで積極的に関与してくるが、当事者ではないためにかえって交渉を混乱させることも少なくない。事情も正確に把握していないまま、感情論だけで話を展開させようとするからである。

パワハラと指導の分岐点がどこにあるかというのは難しい問題だ。訴訟でもパワハラなのか、あるいは行き過ぎた指導なのかが争われることが少なくない。そもそも「パワハラ」という言葉は広く知られるようになったが、具体的な定義をご存じだろうか。

厚生労働省のサイトでは、「同じ職場で働く者に対して、職務上の地位や人間関係などの職場内での優位性を背景に、業務の適正な範囲を超えて、精神的・身体的苦痛を与える又は職場環境を悪化させる行為」と定義されている。これだけを読んで、ある行動がパワハラかどうかわかるだろうか。少なくとも私にはよくわからない。

弁護士ですらわからないのだから、いわんや経営者の方にはなおさらわかりにくい。パワハラなのかどうかわからない事案については、最終的には司法の場で判断してもらうほかない。

ちなみに、部下が上司にPCの利用方法を教えず、精神的に追い詰めることなども「逆パワハラ」と呼ばれ問題になっている。パワハラは、上から下に対してなされるだけのものではない。これは厚生労働省の「職場のいじめ・嫌がらせ問題に関する円卓会議ワーキング・グループ報告」においても指摘されている。

パワハラかパワハラじゃないか、の境界線

 このようにパワハラの言葉の意味が曖昧だと「これはパワハラになるかもしれないから指摘することをやめておこう」という気持ちにまじめな人ほどなってしまう。実際のところ「これはパワハラになりますか」という相談は、とくに中間管理職の方から多くある。「上から発破をかけられ、下に気を遣い、中間管理職は大変だ」とつくづく感じる。

大半の相談は指導であってまったく問題がないものだ。むしろ現代の問題点は、あまりにもパワハラを意識しすぎてしまい、あるべき指導すらできなくなっていることにある。言葉が曖昧であるがゆえに萎縮してしまうという現象だ。然るべき指導がなされないと、新人も育たないし、組織自体が緊張感を失い弱くなってしまう。張りすぎた糸は切れてしまうが、緩すぎる糸では意味をなさない。組織も同じである。

私は、パワハラになるかどうかを、具体的な行動に対する批判か、それを超えて人格に対する批判かで判断するようにしている。例えば「A社に対する昨日の売上伝票の記載には誤記がある。間違った原因を整理して報告するように」というのは、具体的な行動に対するものであるから指導になる。これに対して、同じ事実でも「お前は何をやってもだめだな」というのは、具体的な事実を離れた人格批判に至っている。これではパワハラとの誹りを避けることはできないだろう。

このようなシンプルな判断基準でなければ、実務では役に立たない。難しい要素をいくらあげても現場で利用できなければ意味がない。このようなパワハラのリスクを整理したうえで、新人をどのようにフォローするべきか。「社長の参謀」としてポイントをお伝えする。ポイントは、(1)教える人(2)教え方(3)フィードバックの3点にある。