会社の信頼が失墜した原発事故。佐藤さんは補償相談室のマネジャーとして、補償に納得できない人の声を受けていた。もちろん厳しい仕事だ。佐藤さんはそれまで培ってきたマネジメント力をフルに発揮し、チームの一体感を高めて仕事に当たった。
子ども時代に感じた“明かりへの安心感”
社内から驚きをもって受け止められた執行役員就任から、およそ3年が経つ。佐藤梨江子さん自身も「マネジャーから突然、執行役員になるなんて人事はあり得ません」と寝耳に水の状況だったと振り返る。
なんで私なの? と自問し、自分なりに答えを出した。
「今まで現場に一番近いところで、お客さまにも一番近いところで仕事をしてきたからかな」
入社は理系採用だったが、生粋ではない。小説『最後の授業』を読んでフランス語に興味を持ち、お茶の水女子大学で文学を専攻。
「社会に出る前に世の中のことも知っておこう」と筑波大学大学院へ進んで環境科学を学ぶ。
修士課程が終わるとき担当教授から、東京電力が地球環境研究室を新設するらしいと聞き、よみがえったのが子ども時代の記憶。
「私、長崎県の島生まれで、田舎に住んでいました。バスで学校から帰るんですが、バス停から家まで10分くらい歩かないといけません。その間、街灯が2個くらいしかないんです。でも暗闇でその明かりを見るとホッとしました」
明かりへの安心感があった。