「母親業は大切な仕事だから、今はそれに専念したい」と言わないと専業主婦になれない社会

以前スイスと英国に住んでいたとき、子供が通う現地校の“ママ友”はほぼ皆、何かしらのワーキングマザーだった。ちょっとびっくりするような桁の年収を稼ぎ出す、高度専門職や多国籍企業のエグゼクティブや国際機関幹部の“ママ”がうようよいた。

スイスのインターナショナルスクールで、息子の幼稚園のおばあちゃん先生に聞かれたものだ。「あなたはここでは仕事はしないの?」。彼女はハーバードの大学院を出て教育学修士を持ちながら、アメリカ人の夫とともに家族でスイスへ移り住み、幼稚園教師としての職を長らく務めていた。駐在員の夫に帯同してきた妻という立場の私が、ビザの関係で就労が難しいことを英語でどう説明しようかと一瞬考えていると、彼女は「母親業は大切な仕事だと考えているのよね、いずれ復帰するのよね。プロフェッショナルな感覚を失わないうちに戻りたいわよね。でしょう?」と勝手に結論を出していた。

スイスでも、その後移り住んだ英国でも、現地の専業主婦の“ママ友”は必ずと言っていいほど同じフレーズを口にするのだった。「母親業は大切な仕事だと思っているから、今はそれに専念したいの」。むしろ、それを口にしないと専業母でいることが正当化できない、くらいの感じを私は受けていた。

何が言いたいかって、それくらい、お金があろうがなかろうが、母親であろうがなかろうが、女性が仕事をしているのが当たり前の社会だということだ。母親が職業を持っていることが当たり前で、それなりのインフラと人々のマインドが育っている社会では、母親であることは女性の職業人としてのスキルを語る上で、特別扱いされない。“職業人かつ母”である女性の絶対数が多く、女性が出産育児経験で得るものは“キャリアのブランク=無”ではないとわかっている社会だからこそ、母親であることは職業スキルの焦点とならない。

まだまだ「母なのにこんなに出世!」とワーママのレアケースがヒロイックに語られる日本社会がそこに到達するには、まず英国の現状の2つくらい(もっとかもしれない)前段階として母親が職業を持つことが当たり前にならなきゃいけない。だが、女性の年齢別就業率を表す日本のM字カーブのまだ深い谷が示すのは、この先のいまだ遠い道のりのようだ。

日本の女性の労働力率は、結婚・出産期に当たる年代に一旦低下し、育児が落ち着いた時期に再び上昇するという、いわゆるM字カーブを描くことが知られている。他の先進国と比べると、日本(赤色)と韓国(桃色)はM字のへこみが非常に大きいことが分かる(出典:内閣府「男女共同参画白書」)
 
河崎環(かわさき・たまき)
フリーライター/コラムニスト。1973年京都生まれ、神奈川育ち。乙女座B型。執筆歴15年。分野は教育・子育て、グローバル政治経済、デザインその他の雑食性。 Webメディア、新聞雑誌、テレビ・ラジオなどにて執筆・出演多数、政府広報誌や行政白書にも参加する。好物は美味いものと美しいもの、刺さる言葉の数々。悩みは加齢に伴うオッサン化問題。