世界中を驚かせた英国のEU離脱。事態はさらに進んで、7月13日、テリーザ・メイ氏が英国史上2人目の女性首相に就任した。党首選を戦ったのは、女性大臣同士。勝負の決め手となったのは、日本では考えられない、ある“失言”だったという。

英国の新しい首相は、女性大臣2人による一騎打ちで決まった

Brexit(ブレグジット)、すなわち英国のEU離脱は、歴史や地政学上だけでなく、あの国らしい移民・階級問題に加えて女性活躍の領域をも揺るがす、途方もないエネルギー爆発の震源となった。キャメロン政権がパンドラの箱を開けてしまったにせよ、ブリタンニアの竜を起こしてしまったにせよ、世界はこの歴史的“事変”を前に息をのみ、英国の動きを注視している。

あまりの影響の大きさに、「英国のリーダーシップに長く空白期間を置くべきではない」として、当初予定の9月9日に約2カ月先んじて、テリーザ・メイ内相が次期首相に就任することが決定した。故・サッチャー元首相以来、英国史上2人目の女性首相誕生である。この経緯は、まるでジェットコースターのようだった。

キャメロン首相の辞職を受け、英国で2人目の女性首相となったテリーザ・メイ氏(公式Twitterより)

問題になったのは「母であるほうが優れた政治家」という主張

現地6月23日のレファレンダム(国民投票)で離脱派が勝利し、残留派のキャメロン首相が引責辞任を発表。しかしキャメロン後任を選出する保守党党首選からは、順当と目されていた離脱派のボリス・ジョンソン前ロンドン市長(現・下院議員)が不出馬を表明し、全世界を驚かせた。盟友ボリスを裏切る形で離脱派のマイケル・ゴーブ司法相が党首選に出馬表明していたのが一因とされるが、そのゴーブは世間の十分な支持が取り付けられず、党首選はテリーザ・メイ内相とアンドレア・レッドソム・エネルギー担当閣外相の女性候補2人による一騎打ちとなり、これまた世界を驚かせた。

保守党の党首選は、テリーザ・メイ氏(左)とアンドレア・レッドソム氏(右)の女性候補2人による一騎打ちとなり、世界を驚かせた。(出典:公式Twitterのプロフィール写真)
 

ところがメイ最有力の流れのまま、レッドソムが自身のキャンペーン上で失言を重ねてしまう。批判を浴びたレッドソムは最終的に「優秀で十分に支持を得た首相がすみやかに選出されることが国益にかなうと考えた」として党首選から撤退するのだが、その批判対象となったのは英タイムズ紙での「子供のいないテリーザ・メイ内相より母親の自分の方が首相に適任」との発言だった。

「子供がいると、より優れた首相になる?」人々の回答は……

英BBCでは、街頭で「子供がいると、より優れた首相になる?」とインタビューを行っているが(参考:「子供がいる母親の方が良い首相になる? 街頭で質問」BBC)、その回答が本当に、非常に、興味深い。 

「子供がいる母親の方が、良い首相になると思うか?」と問われたインタビューに対し、街の人々は……。(出典:BBC)
 

「リーダーに求められる資質とは、他者への共感力やチームとして働けるかどうか。親であるかどうかは、首相になる要件ではない」

「親であることが決定的に大事だとは思わない。けれど、家族を持っていることで家庭生活の何たるかや、子供を育てるのに必要なこと、お金の問題も理解する一助にはなるだろう」

「(レッドソムは、自分には子供があるから、子供を持たないメイよりもこの国の将来をよりシリアスに考えていると示唆したが)この国の誰もが国家の未来に対して利害関係を持っているのだから、自分が母だからより国家の未来に真剣であると主張するのには賛成しない」

「子供を持つかどうかはその女性の選択であって、優れたリーダーになるかどうかの判断基準とするのは間違っている。子供のいない女性への差別」

「育児や介護に関わる仕事なら、親であることを売りにできるかもしれないけれど、その他の仕事へと一般化することはできないと思う」

「親であることを選挙のキャンペーンに使うことは構わないが、いざ首相になってからの仕事全てに影響があるわけではない」

まさにいま幼い子供を抱えてインタビューに答える女性までもが「親であることは首相としての資質には関係がない」と屈託なく話し、若い女性が「母親の方が良いリーダーになるというのは子を持たない女性への差別」と言い切り、また男性市民も女性候補者(当時)のレッドソムやメイに決して遠慮するでも手加減するでもなく、「親だから政治に対して真剣だと言うのには同意できない」と異を唱える。

母としての経験を国家のリーダーの資質の議論に持ち込むのは「ナイーブ(未熟)である」

さらに、批判を受けたレッドソムが「あのタイムズ紙のおぞましい記事は私の発言と異なる」と弁明したため、担当女性記者レイチェル・シルベスター氏が真っ向から反論した(参考:「英保守党党首選のレッドソム候補、『母親の自分の方が適任』発言を謝罪」BBC)。

「(レッドソム氏に)自分とテリーザ・メイの違いは何かと聞くと、テリーザ・メイには子供がいないと答えた。違いは『経済手腕と家族』だと。明らかに自分の長所だと思っている様子だった」「そういう比較をしておきながら問題視されないと思ったのは、ナイーブだ」。政治家としての資質の議論に、子育ての経験の有無を持ち込むのはプロとしてナイーブである、と斬った。

アンドレア・レッドソム氏はテリーザ・メイ氏に対し、「母親の自分の方が適任」と発言したことを謝罪した、とBBCが報じている。

私はこの2本のBBCのインタビュー動画にのけぞった。ここには、いかに英国の女性職業人を巡る意識が、日本のそれより遥か何周も先を走っているかが示されていた。いまこの現在の日本に、日本の国益を代表する女性首相など生まれない。もしやそんな機運が奇跡的に起こったとしても、そんなレベルにいる女性政治家は数えるほどしか存在しないから、“女性同士で首相の座を巡って一騎打ち”などという事態が起こるわけもない。

ましてや、「母親政治家」が「子を持たない女性政治家」に向かって「自分の方が政治家として資質が高い」などと発言する場面が生じることもない。なぜか。

地方か中央政界かにもよるけれど、まず日本の政界は、政治のプロではない元芸能人や女子アナやキャンギャルやグラビアアイドル出身などの、人前に出るキャリアで既に顔を知られたタレント女性政治家ばかりが不思議と担ぎ上げられる場所だからだ。そして母親になってなお政治活動を続ける、続けられる女性がなかなか出現しないからだ。さらに数少ない、政治のプロとして育った女性政治家が結婚出産後も必死で政治活動を続けていても、中央へ近づいて何かに指一本かかった瞬間、どこからか飛んでくる下衆なスキャンダル記事で撃ち落とされるからだ。

そして何より、「母親であること」が職業人として有利であるだなんて、社会もましてや母親たち本人も思って(思えて)いないからだ。日本では母親であることは“真っ当なキャリア”の足かせでこそあれ、まさかアドバンテージだとは見なされることなく、ここまで来た。基本的に子育てに専念する期間は、キャリア上のブランク(=無)であると評価されてきた。

「子育て経験はアドバンテージになる」という発言がたまにあっても、「保育や介護や接客業くらいなら認めてやってもいいが、本音では復帰に必死な母親たちの悔し紛れだろう」と微妙な気遣いを受けてきた。だから“ママなのに”活躍している女性は、遠慮がちな社交辞令的賞賛の対象でこそあれ、真っ向から批判などされるわけがなかった。“お客さん”だからだ。ガツガツと真剣にポストを狙い、人生を賭け他人を蹴落とし目を光らせている層にとっては、シリアスなライバルになり得ないからだ。

社会的に活躍する女性の絶対数が少ない社会では、ポストを巡る女性同士の衝突も起きない。ましてそこで女同士で子育て経験の有無を焦点にして揉めるような日が日本にやってくるのはいつだろう、5年後か、10年後か。

子育て経験を売りにした女性政治家が批判される英国と、子育て経験のある女性政治家が首相の座を巡って女性同士で争うなんて場面自体が想像もつかない日本との、彼岸と此岸の距離をご理解いただけただろうか。

「母親業は大切な仕事だから、今はそれに専念したい」と言わないと専業主婦になれない社会

以前スイスと英国に住んでいたとき、子供が通う現地校の“ママ友”はほぼ皆、何かしらのワーキングマザーだった。ちょっとびっくりするような桁の年収を稼ぎ出す、高度専門職や多国籍企業のエグゼクティブや国際機関幹部の“ママ”がうようよいた。

スイスのインターナショナルスクールで、息子の幼稚園のおばあちゃん先生に聞かれたものだ。「あなたはここでは仕事はしないの?」。彼女はハーバードの大学院を出て教育学修士を持ちながら、アメリカ人の夫とともに家族でスイスへ移り住み、幼稚園教師としての職を長らく務めていた。駐在員の夫に帯同してきた妻という立場の私が、ビザの関係で就労が難しいことを英語でどう説明しようかと一瞬考えていると、彼女は「母親業は大切な仕事だと考えているのよね、いずれ復帰するのよね。プロフェッショナルな感覚を失わないうちに戻りたいわよね。でしょう?」と勝手に結論を出していた。

スイスでも、その後移り住んだ英国でも、現地の専業主婦の“ママ友”は必ずと言っていいほど同じフレーズを口にするのだった。「母親業は大切な仕事だと思っているから、今はそれに専念したいの」。むしろ、それを口にしないと専業母でいることが正当化できない、くらいの感じを私は受けていた。

何が言いたいかって、それくらい、お金があろうがなかろうが、母親であろうがなかろうが、女性が仕事をしているのが当たり前の社会だということだ。母親が職業を持っていることが当たり前で、それなりのインフラと人々のマインドが育っている社会では、母親であることは女性の職業人としてのスキルを語る上で、特別扱いされない。“職業人かつ母”である女性の絶対数が多く、女性が出産育児経験で得るものは“キャリアのブランク=無”ではないとわかっている社会だからこそ、母親であることは職業スキルの焦点とならない。

まだまだ「母なのにこんなに出世!」とワーママのレアケースがヒロイックに語られる日本社会がそこに到達するには、まず英国の現状の2つくらい(もっとかもしれない)前段階として母親が職業を持つことが当たり前にならなきゃいけない。だが、女性の年齢別就業率を表す日本のM字カーブのまだ深い谷が示すのは、この先のいまだ遠い道のりのようだ。

日本の女性の労働力率は、結婚・出産期に当たる年代に一旦低下し、育児が落ち着いた時期に再び上昇するという、いわゆるM字カーブを描くことが知られている。他の先進国と比べると、日本(赤色)と韓国(桃色)はM字のへこみが非常に大きいことが分かる(出典:内閣府「男女共同参画白書」)
 
河崎環(かわさき・たまき)
フリーライター/コラムニスト。1973年京都生まれ、神奈川育ち。乙女座B型。執筆歴15年。分野は教育・子育て、グローバル政治経済、デザインその他の雑食性。 Webメディア、新聞雑誌、テレビ・ラジオなどにて執筆・出演多数、政府広報誌や行政白書にも参加する。好物は美味いものと美しいもの、刺さる言葉の数々。悩みは加齢に伴うオッサン化問題。