公表され酷評された「謝罪文」にあったように、もはや奥様も「私にも責任の一端」と書くほどの理解(
乙武洋匡という聡明な一人の人間にとって、その身体的な条件からやむを得ない“生理的な弱点”はずっと、彼自身と彼の人生を規定する大きく深刻な問題だったのではないか、そういうビルトインされた本質的な衝動を抱えて、彼はこれまでも生きてきたのではないか、そう思えるのだ。
父・乙武洋匡としての発言は本物だったはずだ
見当違いついでにさらに妄言を重ねさせていただくなら、しかしそういう葛藤や解決方法は、
そうとでも仮定しなければ、理解できないのだ。「妻が母になってしまったから」。3人もの可愛い子どもをもうけて、一方の自分は父にならなかったなんてことがあろうはずがない。なぜなら、彼は多様性や社会の表面的でなく本質的な善悪の観念、そして人間のこころの機微に対してすばらしいバランス感覚を持った発言と著作活動をしてきたひとだから。子育ての当事者として、父としての発言が、それまでの教育者としての発言に深みを与え、多くのフォロワーの心を動かしてきた。「妻が母になってしまった」「責任の一端」との“謝罪”の言葉だけが、何だかものすごく異様な破綻を見せているのだ。
だからむしろ「いやー、もうオレ、性欲強すぎて、女ダイスキで大変っす。みんなオレのこと障がい者だと侮ってるけど、健常者さえも持ってないものを何でも持ってる勝ち組なんですよ? 町なかでチョー目立つのはもう仕方ないんで、開き直って遊びまくってました。二股も五股も十股も、こうなったらもう一緒でしょ? でも怒られちゃったからな~。世間にはさっさと謝って、あとは人の噂も七十五日でやり過ごして、早く念願の政治家になりたいですよ……」なんて、ネットで叩かれているような分かりやすくゲスい人間像でいてくれたほうが、よほどこちらの心が痛まない。