“大人になる”ということは、責任をとるということ

オリヴィエ・アサイヤス監督は、「確かに、今日のフランス映画界について言えば、昔に比べて“女優は若くなければダメ”“加齢は呪い”といった感覚が薄れて、成熟した強い女性が自身を開花させています」と日本人が抱くフランス女性のイメージを一部肯定する。

脚本も手掛けたオリヴィエ・アサイヤス監督。1955年パリ生まれ。70年代にカイエ・デュ・シネマ誌で映画批評を書き、後に映画作家に。『クリーン』(04)では元妻の香港スター、マギー・チャンにカンヌ映画祭の女優賞をもたらし、『夏時間の庭』(08)は日本でも興行的な成功を収めた。

「イザベル・ユペール、カトリーヌ・ドヌーヴ、ファニー・アルダンらがまさにそうで、フランスのスター・システムを支配しています。一般人にはまだ難しいことですが、社会全体が高齢化しているので、昔より“若さ礼賛”の意識から自由になっているのではないでしょうか」

ただし、その境地に至るまでには、「誰もが必ず“時間の経過”という問題と対峙しなければいけない」とも。「今までの自分を問い直し、自己批判をし、新たな自分を形成するという課題に直面しなければなりません。この映画が語っているのは、誰もが変化を強いられ、新しいステージの幕を開ける時が必ず訪れるということ。大人にならなければいけないことを受け入れる瞬間は必ず訪れる。でも同時に、自由であること、無責任であること、子供であることを完全に諦める必要もないのです」

マリアは、キャリアだけでなく、私生活においても分岐点にいる。夫とは離婚協議中の上、自分を見出してくれた恩師である劇作家が急逝。人生の折り返し地点で孤独に苛まれる彼女の目には、世間の注目を一身に浴びる新進女優のジョアンが余計にまぶしく映る。

「私はシグリットでいたい!」――もがくマリアを、アシスタントのヴァレンティンはこう諭す。「ヘレナは年齢的には成熟しているけど、心が無垢」だと。

アサイヤス監督は言う。「今日の社会は、若さをあまりにも重視するが故に、もう若くないと認める瞬間をなるべく遅らせようとしています。大人になることを受け入れるというのは、ある種責任を取るということでもあるのです。でも同時に、マリアたち芸術家は、より自由で、無責任である権利を持っている。フランス語で“演じる”という動詞には“遊び”“ゲーム”という意味があるくらいですから(笑)」