日本のダイバーシティの変遷
女性活躍の歴史に沿って、ゲームの参加者の変化とルールの変化を見ていきましょう。
まず1986年に均等法が施行され、仕事の現場において男女平等に活躍できる機会ができた。しかし、それは24時間働いて、いつでも転勤ができる男性を基準にした働き方に女性が合わせるという意味でした。つまり『名誉男性的な働き方』でやっと仲間にいれてもらえるという意味だったのです。
40代ぐらいの世代は「遅く産む」という選択をとらざるを得なかった。「仕事、地位」がある程度確立してから産むという選択肢です。現在責任ある地位につき、役職者として活躍する女性に話を聞くと、「不妊治療」や「流産」の経験者も多い。仕事と引き換えに晩産という選択をせざるを得なかったという職場環境がありました。遅くになってから出産した女性もいれば、果たせなかった人もいます。
内閣府のアンケートによれば、「アンケートに回答した均等法第1世代の女性の属性をみると、91人中既婚者が46人(50.5%)である一方、未婚者が38人(41.8%)いた。また91人中、子どもがいない者は64人(70.3%)に上った。」という結果があり、さらに均等法第1世代が仕事を継続できた理由として最も重要だったことは「既婚者は「夫の理解・協力」(32.6%)、「子どもがいなかった」(17.4%)と回答した人が多く、未婚者は「独身であったこと」(50.0%)が突出して多かった」という結果がありました。子供がいない人のほうが多数派です。結婚や子どもが仕事の継続上の制約になっていたのです。