仕事がつまらなくて仕方がなかった

私のキャリアは転職の繰り返しです。最初はたった1年での転職でした。地元福島の短大を卒業し、アルバイトをしていたラジオ局に就職し、総務部に配属となります。局長1人、部長1人、社長の運転手、そして私の小さな部署です。仕事がつまらなくて、「いろいろやりたい」と言っても仕事を与えてもらえませんでした。

表を拡大
黒坂さんのキャリア年表

女性の仕事はゴム印の管理とかノベルティの管理、あとはお茶出し程度で、"女の子扱い"でしたね。あまりに暇だから新しいボールペンのインクがどのくらいでなくなるのか、ひたすら何時間もグルグルと丸を描き続けたこともあります(笑)。今までの風習から、退職するときは局長に「今まで総務部に来た人はみんな僕の手でお嫁に出してきたのに、キミをそうできなかった。ごめんね」って泣かれてしまいました。

学生時代に留学経験もあったので、転職先は「英語」「クルマ」「海外」の3つの条件が合うところを探し、ジャガージャパンに移ります。父が日産のセールスマンでしたから子どものころからクルマには興味があったんです。

東京で一人暮らしをはじめ、最初に担当した仕事はショールームレディ。楽しかったですよ。でも電話で恥ずかしい思いをしました。どうしても福島なまりが出てしまうんです。受付にいて電話がかかってくると「ジャガージャパンでございます」と応えるのですが、それが見事になまっている。鏡を見ながら、なまりが消えるまでずいぶん練習しました。

他社のショールームレディの育成も担当しました。輸入車のショールームがどんどん増えていた時代で、他の外車メーカーから「育ててほしい」と頼まれたこともありました。ジャガーのショールームレディの評判がよかったんでしょうね。クルマのドアをどう開けて、シートに自分がどう座れば美しく見えるかなどを教えます。ミニスカートをはく時代ですから、そのときの足の揃え方などを指導しました。今は信じられないと思いますが(笑)。