500人のマネジメントを経験

楽天 執行役員 CSR部 部長 
黒坂三重さん

2002年に、代表を務めていたワイノットを楽天に売却し、楽天の一員となりました。ワイノットはネット上のグリーティングカードサービスの会社です。3年ほど引き続き経営を任され、その後は楽天市場のキッズ・ベビー部門の部長や、楽天市場の売り場となるすべてのウェブページの責任者などを経験しました。

12年6月からは楽天グループのCSRをまとめるCSR部を担当しています。CSRは社会と企業をつなぐ重要な役割を果たしますが、東日本大震災以降はより注目されていると思います。CSRは継続することで1つの課題に応えるだけでなく、複数の課題に応えることもあり、とても意義があるので、本業を活かした貢献を心がけています。

たとえば高校生を対象に約1年間、電子商取引の授業を行う「楽天IT学校」。これは起業家精神の育成と地域活性化を目的として2008年から開始し累計52校で授業を行ってきました。また、「楽天いどうとしょかん」は福島県の復興を支援するためと子供たちの読書推進のために始めたもので、車両に絵本や児童書など約1200冊のほか「楽天Kobo」の電子書籍やタブレットを積み込んで巡回しています。巡回する中で、地域のコミュニティ活性にも貢献していることがわかりましたので、2014年はそれも目的に加え、地域を広げ、岐阜県、島根県、群馬県でも運行を開始しました。

楽天に移ってからの13年間は、様々なことに挑戦でき、一時期は500人規模の組織でマネジメントを経験し、そういう状況を楽しんできました。そして、今は楽天のグローバル展開にあわせて、CSRをグローバルで展開することにチャレンジしていますが、代表を務めていた頃に常に背中あわせだった事業リスクや資金調達の苦労もなく、キャリアのなかで順風満帆な日々なのかもしれません。三木谷とすれ違うと「楽してない、最近?」と言われ、ドキッとすることもあります。

仕事がつまらなくて仕方がなかった

私のキャリアは転職の繰り返しです。最初はたった1年での転職でした。地元福島の短大を卒業し、アルバイトをしていたラジオ局に就職し、総務部に配属となります。局長1人、部長1人、社長の運転手、そして私の小さな部署です。仕事がつまらなくて、「いろいろやりたい」と言っても仕事を与えてもらえませんでした。

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黒坂さんのキャリア年表

女性の仕事はゴム印の管理とかノベルティの管理、あとはお茶出し程度で、"女の子扱い"でしたね。あまりに暇だから新しいボールペンのインクがどのくらいでなくなるのか、ひたすら何時間もグルグルと丸を描き続けたこともあります(笑)。今までの風習から、退職するときは局長に「今まで総務部に来た人はみんな僕の手でお嫁に出してきたのに、キミをそうできなかった。ごめんね」って泣かれてしまいました。

学生時代に留学経験もあったので、転職先は「英語」「クルマ」「海外」の3つの条件が合うところを探し、ジャガージャパンに移ります。父が日産のセールスマンでしたから子どものころからクルマには興味があったんです。

東京で一人暮らしをはじめ、最初に担当した仕事はショールームレディ。楽しかったですよ。でも電話で恥ずかしい思いをしました。どうしても福島なまりが出てしまうんです。受付にいて電話がかかってくると「ジャガージャパンでございます」と応えるのですが、それが見事になまっている。鏡を見ながら、なまりが消えるまでずいぶん練習しました。

他社のショールームレディの育成も担当しました。輸入車のショールームがどんどん増えていた時代で、他の外車メーカーから「育ててほしい」と頼まれたこともありました。ジャガーのショールームレディの評判がよかったんでしょうね。クルマのドアをどう開けて、シートに自分がどう座れば美しく見えるかなどを教えます。ミニスカートをはく時代ですから、そのときの足の揃え方などを指導しました。今は信じられないと思いますが(笑)。

強敵相手に、張り合いのある仕事

ジャガーでは営業を担当したかったのですが、「女性がセールスしたら何が起きるかわからない」と反対され、もう辞めようかと思っていた頃、会社から面白い仕事を与えられました。ジャガーグッズの企画です。当時、ジャガーのロゴの入ったゴルフバッグやタオルなどを本国のイギリスで製作していて、それを日本に輸入していたのですが、関税が高いので日本で作りたいと会社が考えていました。本国から商品を取り寄せて品質を確認し、それと同じものをデザインし発注します。これがとても楽しかったんです。

ところが、当時ジャガージャパンは西武百貨店が出資していた会社で、西武百貨店の関連会社が事業を丸ごと担当することになりました。転職への思いが一気に高まりましたね。

それをきっかけに92年にアルダスというIT企業に転職します。きっかけはアルダスを立ち上げた手嶋雅夫さんとの出会いでした。手嶋さんはジャガージャパン時代に担当したお客様です。ITといってもまだインターネットが普及する前で、PCがDOS/Vで、メディアが5インチフロッピーの時代です。

アルダスの主力製品だった「PageMaker(ページメーカー)」というDTPソフトやデザインソフトの「FreeHand(フリーハンド)」などの販売促進を担当しました。家電量販店に行って店員さんとやり取りし、製品のカタログを置き、土日は来店客に説明する仕事です。

今改めてアルダスに移ってよかったと思うのは、強い競合がいる環境のなかで勝つための方法を考えられたことです。ページメーカーには、競合商品としてクオーク社の「QuarkExpress(クオークエクスプレス)」、フリーハンドにはアドビシステムズの「Illustrator(イラストレーター)」が立ちはだかっていました。

使いやすさで言えばクオークかなと思いながら、ページメーカーのよさを紹介するなかで、説得力のある伝え方を身につけられたと思います。最初から強い会社にいたら勝ち戦しか知らないから、2番手から1番をめざす戦い方は身につかなかったでしょう。結局、アルダスはアドビシステムズに買収され、それを機に私も退職します。その後、マクロメディアを経て、ワイノットの日本法人の立ち上げに関わっていくことになります。