創業直後のハラハラ体験
転職から1年半が過ぎたころ、有志が集まって理想の会社を作ろうということになり、90年7月、コングレはスタートします。当時の社員は約40人でしたが、顧客はゼロに近い状態。まずは仕事を取ってくるところからはじめました。
私は地元のある自治体に営業をかけました。「○○社の牙城」といわれるほど、競合他社が深く入り込んでいる自治体で、私がやっと取れた仕事は、市長が海外のプレゼンで配布する資料の翻訳でした。
プレゼンの原稿を翻訳して数百部の冊子を刷り、「完成しました!」と上司に見本を渡したときです。
「あれ、スペルが違うよ」
慌てて見ると表紙の文字に明らかな誤り!
すぐに連絡すると、自治体の担当者は絶句していました。まさか表紙に誤植とは想像もしなかったでしょう。中身は何度もチェックしていたのです。しかも、海外へ出発するまで時間がありません。
上司のとっさの判断で、大阪と京都の印刷会社に同じ修正の冊子を同時に頼むことにしました。早く刷り上がったほうを納品し、一方は無駄にしてもいいということです。
市長がプレゼンする国には、当時は関西から直行便がなく、担当者の方々は新幹線でいったん東京へ出る予定でした。依頼した2社のうち先に完成したのは京都の印刷会社。京都から新幹線で新大阪駅まで運んでもらい、東京行きのホームでお渡しするという段取りを組みました。まさに綱渡り。このとき新幹線のホームに自治体の偉い方々が見送りに来られると聞いて、社長にお詫びとご挨拶のために同行をお願いしました。
新大阪駅で印刷会社から段ボール箱を受け取ったとき、私はふと閃いて、コングレのロゴシールを目立つ場所にペタペタ貼りました。その箱を持って上りホームへ駆けつけました。
自治体の関係者たちは「あ、来た。間に合った!」と万歳しそうな歓迎ぶり。偉い方たちに社長を紹介し、コングレのロゴが目立つ箱を担当者に渡しました。
本来は私のチェック漏れであり、ハラハラする刷り直しでしたが、自治体の方々からは、責められるより逆に感謝され、新たな仕事の受注につながりました。
「紫冨田さん、まさか仕組んだのとちがうよね?」
自治体の担当者から後々冗談を言われたほど。私たちの会社が誕生して間もない頃の失敗談です。
伊田欣司=構成 向井 渉=撮影